大成建設 大倉家支配解消と本部制移行 創業家個人による支配から、複数の役員による合議で決める体制への切り替え

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時期 1965年1月
当時の社長 本間嘉平
論点 意思決定機構と組織
何をなぜ決めたか
概要

戦後に大倉家の同族支配を解消した大成建設が、経営方針を常務会に諮り社長は議長に徹する合議経営を制度化し、1965年1月に本部制(営業・事務・建築・土木)を導入して分権体制を構築した経営判断。

背景

財閥解体で創業家・大倉家のワンマン支配が消え、追放を免れた若手層が経営を承継した。一人の求心力に依存する経営に代わる、意思決定の仕組みが要った。

内容

本間嘉平社長は、経営方針を常務会に諮って議論を尽くし、社長は議長を務めるにとどめる"チェックシステム"を敷いた。1965年1月には本部制を採り、各本部を独立事業部的に機能させる分権を進めた。

含意

社名"大成"を"大器晩成"ではなく"集大成"と解し、優秀な社員が力を合わせる"コーラス"の経営として言語化した。"組織の大成"と呼ばれる分権モデルは、特定の個人に依存しない運営の型として定着した。

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筆者の見解
筆者の見解

ワンマンを置かない経営という選択

この経営判断の核心は、財閥解体で否応なく失われた創業家の求心力を、合議と分権の仕組みで置き換えた点にある。オーナーが去った会社をふたたび一人の強力なトップに委ねるのではなく、本間嘉平社長は経営方針を常務会に諮り、自らは議長に徹する"チェックシステム"を敷いた。社名"大成"を"集大成"="コーラス"と解いた説明は、この集団指導体制を、外から借りた制度ではなく会社の由来に根ざす理念として示すものだった。

もっとも、合議経営は決定の速さでは優れた個人のひらめきに劣る面がある。本間嘉平氏(社長)自身も『突飛なことは出来ない』と、その弱みを認めていた。それでも、権限を各本部へ分けた"組織の大成"の型は、特定の個人に依存しない運営を戦後の早い時期に選んだ結果として残り、後にスーパーゼネコンへと規模を拡大する大成建設の組織運営の性格を形づくった。誰が率いるかではなく、どの仕組みで決めるか——この決断は、その問いを組織の設計そのものに据えた点で示唆に富む。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
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参考文献
出典・参考
  • 経済展望 1964年6月15日号
  • 証券調査(140)(新日本証券調査センター, 1982年5月)
  • 証券調査(205)(新日本証券調査センター, 1987年10月)
  • 事業の世界 1971年9月号「よい仕事をするための日建連」

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