この判断の芯にあるのは、規模で競う製薬の潮流に背を向け、認知症という失敗の続いた領域へ研究開発を絞り込むという選択であった。逃げ道を断つことで生まれる切迫感を、内藤晴夫CEOはむしろ強みとして語ってきた。アデュカヌマブの蹉跌を挟みながらも、同じ提携から生まれたレカネマブが有効性を数字で示し、臨床の現場へ届いた経緯は、長期の集中がひとまず果実を結んだ姿と推察される。世界初のパイオニアという自負が、30年越しの一貫した賭けを支えていたことがうかがえる。
ただ、承認は到達点であると同時に出発点でもあった。診断や検査の体制、高額な薬価、副作用の管理という現実の壁は、1兆円という構想と患者への普及とのあいだに横たわり続ける。正式承認の直後に次期社長候補が去ったことは、成果を担う人の層の薄さという別の問いも投げかけた。認知症を"恐れるに足らず"とする世界を作れるかどうかは、承認という一点ではなく、その後の普及と体制づくりの積み重ねに委ねられていると推察される。