創業者による経営権の奪還
穐田社長の更迭議決権43.581%を握る創業者は、株主総会をどう使って経営を取り戻したか
- 概要
- 2016年、議決権の43.581%を握る創業者・佐野陽光が、株主提案と委任状争奪戦を背景に、多角化を進めた穐田誉輝を代表執行役(社長)の座から退けた経営権の奪還。3月24日の株主総会で佐野側が取締役の過半を占め、総会後の取締役会で社長の首がすげ替えられた。
- 背景
- クックパッドは代表執行役が経営を担う指名委員会等設置会社。料理レシピへの集中を求める創業者・佐野と、周辺事業への多角化を進める穐田社長の路線対立が2015年に表面化した。社外取締役5名の特別委員会は現執行部の計画推進を勧告したが、佐野はいったん受け入れた勧告を覆して株主提案に踏み切った。
- 内容
- 2016年1月、佐野は自らを除く全取締役候補の入れ替えを求める株主提案を提出。委任状争奪戦を避けるため2月に取締役を9名へ増やし6名を佐野側とする一本化で合意し、3月24日の株主総会で佐野側が過半を占めた。総会後の取締役会で穐田は社長職を失い、マッキンゼー出身の岩田林平が新社長に就いた。
- 含意
- 経営権は創業者に戻り本業回帰が進んだ一方、株価は約2週間で3割強下落し時価総額約800億円が失われ、1年で半値に沈んだ。総会翌週には労組が結成され、幹部やエンジニアの流出も相次いだ。監査委員が議決権行使を「奇貨」と呼んだこの騒動は、創業者の株式支配のもとで少数株主が取りうる手段の乏しさを露呈した。
創業者の株式支配が問うた上場企業の統治
この騒動の核心は、上場企業でありながら、一人の創業者が議決権の43.581%を握るという株式支配の構造にある。クックパッドは指名委員会等設置会社として、社外取締役を軸とする合議で執行を監督する器を備えていた。実際に、社外取締役5名の特別委員会は現経営陣の続投を勧告し、監査委員は創業者の議決権行使を「奇貨として」と評し、信認義務違反のおそれにまで言及した。しかし、統治機構が示したこれらの判断のいずれにも、株主総会の多数決を覆す力はなかった。制度が用意した歯止めは、圧倒的な持株比率の前で機能しきれなかった。
残されたのは、少数株主が取りうる手段の乏しさという問いである。藤野英人が紛争発覚と同時に全株を売却したのは、少数株主が創業者の支配に対抗できないと見切ったからにほかならない。経営権は創業者に戻り、本業への回帰は進んだ。だが、その過程で株価は1年で半値に沈み、労働組合の結成や幹部の相次ぐ流出という代償が残った。支配的な創業株主のもとで、取締役会や特別委員会の独立性、そして少数株主の利益をどう守るのか——クックパッドの経営権騒動は、上場企業の統治が抱える根本の課題を、生々しい形で突きつけた事例として記憶される。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
創業者の株式支配と路線対立
クックパッドは、取締役会から業務執行を委ねられた代表執行役(社長)が経営を担う指名委員会等設置会社である。料理レシピ投稿サービスを一本の柱に育てた創業者・佐野陽光は、総株主の議決権の43.581%にあたる46,582,800株を握る筆頭株主であり、外部から招かれた穐田誉輝社長は14.76%を保有していた。穐田は結婚情報や家計簿、不動産などの周辺サービスへ事業を広げる多角化を推し進め、料理レシピへの集中を求める佐野との路線の違いが、2015年に表面化した。強大な株式支配を持つ創業者と、執行を託された社長との対立は、当初から株主総会での多数決に帰着しうる性格を帯びていた[1]。
路線の対立と佐野の求めを受けて、2015年11月27日、経営から独立した社外取締役5名からなる特別委員会が設置された。委員会はおよそ3週間の検討を経て、同年12月18日、現執行部が掲げる事業計画を推進することが企業価値の最大化と少数株主の保護に最も適うとの勧告書をまとめ、取締役会もこれを承認した。特別委員会という装置は、支配株主と少数株主の利害が対立しうる場面で、独立した第三者の目を入れるための仕組みである。佐野はいったんこの勧告を受け入れると表明し、対立は収束したかにみえた。少数株主の利益を守るために置かれた合議機関が現経営陣の続投を支持したことで、争いは制度上の決着をみたはずであった[2]。
受け入れた勧告を覆した株主提案
ところが佐野は、受け入れたはずの勧告をほどなく反故にした。2016年1月8日付で、自らを除く全取締役候補の入れ替えを求める株主提案を提出し、外部の弁護士に委任して委任状争奪戦の準備を進めた。自らを除く全員の交代とは、現経営陣を総入れ替えするに等しい要求である。43.581%という議決権は、株主総会の議案の帰趨をほぼ一人で左右できる比重であり、特別委員会の勧告も、それを承認した取締役会の意思も、多数決の前では容易に覆しうる。監査委員の岩倉正和は招集通知の補足意見で、佐野がその議決権を「奇貨として」勧告の結論を覆そうとしたと、名指しで批判した[3]。
決断
委任状争奪戦の回避と一本化
株主提案が2016年1月19日に開示されると、市場は敏感に反応した。株価は開示初日に約23%、翌日にもおよそ6%下落し、経営の混乱が企業価値を削っていく様子が数字に表れた。全面的な委任状争奪戦を避けるため、両者は2月5日、取締役を8名から9名に増やし、うち6名を佐野側、3名を現任とする一本化の案で基本合意した。2月12日、佐野は株主提案を取り下げ、その際、提案の理由が客観的事実に反していたことを自認した。総会での全面対決という消耗戦は避けられたものの、まとまった中身は、議決権で優位に立つ創業者側の要求をほぼ通す妥協であり、創業者側が取締役の過半を占める布陣が固まった[4]。
岩倉監査委員の補足意見は、株式支配の是非にとどまらず、取締役の義務の問題にまで踏み込んだ。もし日本法上、取締役が株主に対していわゆる信認義務を負うのであれば、佐野の行動はその義務に違反するおそれがある、と記した。取締役でありながら圧倒的な大株主でもある佐野は、株主としての利害と取締役としての義務が交錯する立場にあった。少数株主を守るはずの経営陣を、みずからが選任する取締役の交代によって入れ替えようとする創業者の動きに対し、会社の統治機構は明確な同意を与えなかった。それでも、勧告にも補足意見にも、43.581%の議決権を止める法的な力はなかった[5]。
株主総会での更迭
2016年3月24日、恵比寿ガーデンプレイスで開かれた定時株主総会で、取締役9名の選任議案は可決され、佐野側の候補6名が過半を占めた。個々の賛成率をみると、佐野の再任は85.41%、穐田の再任は95.57%と、更迭される側の穐田がむしろ高い支持を集めていた。それでも、総会後に開かれた取締役会で、穐田は代表執行役(社長)の座を解かれ、代表権のない取締役にとどまった。新たな社長には、マッキンゼー出身で当時42歳の岩田林平が就いた。株主が選んだ取締役の顔ぶれではなく、その取締役会が握る執行役の人事によって、経営の主導権は創業者側へ移った[6]。
結果
株価下落・労組結成・本業回帰
経営権をめぐる争いは、企業価値を著しく損なった。株主提案が表面化した1月19日以降、株価は約2週間で3割強下落し、時価総額はおよそ800億円が失われた。総会後もさらに17%安の1,770円まで下げ、2017年3月には1年前の半値に沈んだ。機関投資家も距離を置いた。経営権の帰属が創業者の持株でほぼ決まる以上、株価がどう動こうと少数株主に打てる手は限られていた。ひふみ投信を運用する藤野英人は、佐野の株主提案で紛争が表面化すると保有株をすべて売却したと明かし、少数株主に残された選択肢の乏しさを率直に語った[7]。
痛手を負ったのは株主だけではなかった。株主総会の翌週、社員だった松浦弥太郎(元「暮しの手帖」編集長)は、現状への疑問を訴える全社メールを社内に送った。ほどなく社員は労働組合を結成し、正社員240名超の8割を超える署名を集めて、佐野執行役と岩田社長の退陣を求めた。CTOの舘野祐一をはじめ、幹部やエンジニアの退職も相次いだ。株主総会という手続の上では創業者が勝ったものの、日々の事業を担う現場の人材は、その決着を受け入れなかった。総会で選ばれた経営陣の正統性と、現場が支える経営のあり方は、真っ向から食い違った[8]。
更迭された穐田は、段階的に会社を去った。2016年12月22日、クックパッドはみんなのウェディングとの資本業務提携を解消して保有株26%を売却し、穐田個人が1株1,000円(前日終値804円に約24%のプレミアム)で公開買付けを行い、同社株を最大66%まで買い集めた。多角化の象徴だった事業の一つは、更迭された当人の手に渡って会社を離れた。穐田は12月31日に執行役を退き、翌2017年3月23日の株主総会で取締役も退任して、1年余り続いた内紛は決着した。クックパッドは穐田時代に広げた多角化事業を整理し、料理レシピを中心とする本業への回帰を進めた[9]。
- クックパッド 第12回定時株主総会招集ご通知(2016年2月)監査委員補足意見
- 日本経済新聞(2016年3月24日)「クックパッド総会、佐野氏側が取締役過半 社長に岩田氏」
- 東洋経済オンライン(2016年5月31日)「藤野英人氏が見たクックパッド『お家騒動』」
- 日経ビジネス(2016年4月6日)「クックパッド、創業者退陣要求で労組を結成」
- 日本経済新聞(2017年3月23日)「クックパッド内紛に幕、株主総会で穐田前社長の退任決定」
- NetIB-News(データ・マックス)(2016年)クックパッド経営権騒動に関する報道
- クックパッド 適時開示資料(株主提案・一本化合意・取下げに関する各お知らせ、2016年)
- クックパッド 有価証券報告書(連結・2016年12月期)