東京ガスエリオットの5%取得と不動産売却要求への対応
2025年進行中一等地の含み資産を株主に返すか、都市インフラの緩衝材として持ち続けるか——物言う株主が突いた資本効率をめぐる攻防
- 概要
- 2024年秋、米ヘッジファンドのエリオット・マネジメントが649億円を投じて東京ガス株の5.03%を取得し、パークハイアット東京が入居する新宿パークタワーなど75超の物件・開発案件(同ファンド推定で合計最大1.5兆円)の売却と株主還元の拡充を求めた。東京ガスは2年で計2,400億円規模の自社株買いとROEコミットメントで応じ、資産売却を組み込んだ中期経営計画を打ち出した。本稿の時点で決着はついていない。
- 背景
- 東京ガスのPBRは2020年度以降1倍を下回る期間が続き、2024年度のROEは4.3%の見通しにとどまっていた。総還元性向の目安は2度にわたり6割から4割へ引き下げられ、割安な株価と積み上がる自己資本、都内一等地に眠る簿価の低い不動産という組み合わせが、アクティビストの標的となる素地を成していた。
- 内容
- エリオットは2024年11月19日の大量保有報告書で保有を表面化させ、非中核の不動産縮小と売却資金の活用、ROE8%達成に向けた自社株買いを水面下で要求した。東京ガスは売却を含む不動産の見直しを表明したうえで、2025年3月に1,200億円上限の自社株買いと増配、2025年10月にROE9%・株主還元2,000億円以上・資産売却等3,000億円を掲げる2026-2028年度中期経営計画を打ち出した。
- 含意
- 株主提案や公開書簡に至らない保有と対話の圧力だけで、公益企業の資本政策の骨格が約1年で塗り替わった。株価は2023年4月比で2倍超となり、エリオットは2025年4月に持ち分の一部を利益確定した。ガス工場跡地から生まれた含み資産を株主に返すか、本業の変動を和らげる資産として抱き続けるか——1.5兆円の行方は本稿の時点で定まっていない。
保有の圧力だけで資本政策は塗り替わった
この攻防の特徴は、エリオットの要求が公開書簡や株主提案の形をとらず、5%の保有と水面下の対話だけで会社を動かした点にある。東京ガスは要求の個別項目を丸のみしたわけではない。しかし自社株買いの規模、ROEのコミットメント、セグメント別ROIC管理の導入と、対応の一つひとつはエリオットが指摘した論点をなぞっており、保有の表面化から約1年で資本政策の骨格は塗り替わった。株価の上昇とエリオットの一部利益確定が併存した経過は、この型のエンゲージメントが敵対的な衝突を経ずに双方へ成果を配り得ることを示しているとみられる。
残るのは、公益事業と含み資産という古くて新しい問いである。新宿や豊洲の不動産は、ガス工場の跡地を長い時間をかけて都市の資産に変えてきた事業史の産物であり、安定した賃料収入はエネルギー市況の変動を和らげる緩衝材でもあった。それを本業と重ならない非中核資産と割り切って売却を迫る論理と、都市インフラの担い手として持ち続ける論理は、どちらも一定の筋を持つ。1.5兆円と見積もられた含み資産の行方は、自由化後の公益企業が資本市場とどう折り合いをつけるかを測る試金石になるとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
PBR1倍割れと後退した株主還元
東京ガスは首都圏でガス・電力合わせて1,300万件規模の顧客基盤を持つ都市ガス最大手でありながら、株式市場の評価は長く低迷していた。PBR(株価純資産倍率)は2020年度以降、1倍を下回る期間が続いた。脱炭素対応や北米シェールガスへの先行投資で資産が膨らむ一方、利益はそれに見合って伸びず、2024年度の連結ROEは4.3%の見通しにとどまった。資本市場からは、中期経営計画に掲げた2025年度ROE8%の達成を疑問視する声が上がっていた[1]。
株主還元も後退していた。同社は総還元性向の目安を2021年度と2023年度の2度にわたり、6割から5割、5割から4割へと引き下げた。経営側自身、決算説明会で2024年度見通しの利益と効率性指標が十分な水準にないと認めていた。割安な株価、積み上がる自己資本、後退した還元方針。アクティビストの目には、働きかけ次第で是正の余地が大きい組み合わせと映る状態であった[2][3]。
一等地に眠る1.5兆円の含み資産
もう一つの標的が不動産であった。東京ガスは、高級ホテル「パークハイアット東京」が入居する新宿パークタワーや、ガス工場跡地に由来する豊洲の広大な土地など、都内一等地に多くの不動産を保有する。取得時期が古いため帳簿上の価額は低く、市場価格との間に大きな乖離があった。報道では、時価総額に匹敵する価値が不動産に潜むと評された[4]。
エリオット・マネジメントは、この含み資産を独自に精査していた。同ファンドは、パークハイアット東京を含む75超の物件・開発案件を合計で最大1.5兆円(約97億ドル)と見積もった。エネルギーという本業との重なりが乏しい非中核資産と位置づけ、帳簿上の価額と売却時の価値の差に着目して、売却による価値の顕在化を求める構えであった[5]。
決断
5%の取得と「重要提案行為」
2024年11月19日、エリオットは大量保有報告書を提出した。遅くとも9月下旬から市場内で買い進め、649億円を投じて東京ガス株の5.03%を取得。平均取得単価は3,322円で、保有目的には株主提案などの「重要提案行為等を行う」と記した。翌20日、東京ガス株は急反発し、市場は物言う株主の登場を含み資産の顕在化への期待として織り込んだ[6][7]。
エリオットの要求は明快であった。マンションなど非中核の不動産ポートフォリオを縮小し、売却で得た資金を電力小売事業の強化などに充てること。そして中期経営計画に掲げるROE8%の達成に向け、自社株買いをはじめとする株主還元を拡充すること。公開書簡や株主提案の形はとらず、水面下の対話を通じて、資本の置き場所を本業と株主に振り向けるよう迫った[8][9]。
売却含みの見直しと1,200億円の自社株買い
東京ガスは正面から拒まなかった。11月28日、笹山晋一社長は資産効率の低い不動産などについて、売却を含めて対応を検討すると表明した。2025年1月31日には「持続的な企業価値向上に向けて」を公表し、2025年度にROE8%を達成するコミットメントと、2030年頃にROE10%以上を目指す方向を明確にした。資本効率を最重要指標と定め、次期中期経営計画の策定では資本市場との対話を重視すると表明した[10][11]。
2025年3月26日、同社は「持続的な企業価値向上に向けた取組方針」を公表した。2024年度に累計1,200億円の自社株買いを済ませたのに続き、2025年度上期中に1,200億円を上限とする自己株式取得を決定。2025年3月期に1株当たり10円の増配で年間80円とし、2025年度は当期純利益1,310億円・ROE8.1%を計画した。利益計画には米イーグルフォードのシェール資産売却や不動産売却益の積み増しを織り込み、資産の入れ替えを効率改善の柱に据えた[12][13]。
結果
一部利益確定と中期経営計画への昇華
エリオットは2025年4月14日の変更報告書で、保有比率を5.03%から4.91%へ引き下げた。取得単価を上回る株価水準での一部売却であり、翌15日の東京ガス株は一時約5%安まで売られた。保有が5%を下回ったことで以後の増減は大量保有報告の対象から外れ、同ファンドの持ち分は外からは見えにくくなった。わずか0.12ポイントの比率低下に株価が約5%反応したこと自体、市場がエリオットの存在を株価の支えとみなしていたことを示している[14]。
会社側の対応は、2025年10月29日発表の2026-2028年度中期経営計画で一つの形に達した。2028年度のROE9%を最重要指標に掲げ、3カ年で2,000億円以上の株主還元と2028年度の年間配当140円、資産売却等による3,000億円のキャッシュ創出、セグメント別ROIC管理の導入を打ち出した。同日には2026年3月期の純利益見通しを前期比2.6倍の1,940億円へ上方修正し、年間配当も20円積み増して100円とした。エリオットが突いた資産効率の論点は、会社の経営計画の骨格そのものに組み込まれた[15][16]。
上がった株価と、残る1.5兆円の行方
業績と株価は要求が表面化する前と別の水準に移った。2026年3月期の純利益は豪州子会社の解散に伴う一過性利益なども加わり2,269億円に達し、2025年度のROEは11.8%の見通しと、コミットした8%を3.8ポイント上回った。株価は2023年4月から2025年9月までに111%上昇し、日経平均の60%、東証プライム電気・ガス業平均の44%を上回った。エリオットの平均取得単価3,322円に対し、2025年4月の株価は4,600円前後で推移していた[17][18]。
資産の圧縮は続いている。2026年3月25日発表の2026年度経営計画はROE8.0%・当期純利益1,340億円を計画し、中期経営計画と合わせて資産売却の手を緩めない構えを示した。ただ、パークハイアット東京を含む中核物件の売却はなお公表されておらず、エリオットが見積もった1.5兆円の含み資産の大半は帳簿の上にとどまる。5%を下回ったエリオットの持ち分がその後どう動いたかも開示されておらず、攻防は水面下に潜ったまま、本稿の時点(2026年7月)で決着していない[19]。
- 日本経済新聞(2024年11月19日)「エリオット、東京ガス株を5%保有 不動産売却を協議」
- Bloomberg(2024年11月19日)「エリオットが東京ガス株を5%超保有、不動産縮小求める-関係者」
- 日経ビジネス電子版(2024年11月20日)「最恐アクティビスト、東京ガス『1兆円不動産』狙い撃ち 株主還元後退で隙」
- Bloomberg(2024年11月27日)「Tokyo Gas Faces Scrutiny Over $9.7 Billion Real Estate Portfolio」
- Bloomberg(2024年11月28日)「東ガス社長、資産効率低い不動産などは見直し-売却含め対応検討」
- 東洋経済オンライン(2024年12月20日)「物言う株主エリオットが狙った東京ガスの『急所』 低株価の原因見抜き、還元、資産売却へ圧力」
- 東京ガス「持続的な企業価値向上に向けた取組方針」(2025年3月26日)
- 日本経済新聞(2025年3月26日)「東京ガス、最大1200億円の自社株買い 今期10円増配」
- 日本経済新聞(2025年4月15日)「東京ガス株一時5%安 米エリオットが保有比率引き下げ」
- 東京ガス「2026-2028年度 中期経営計画」(2025年10月29日)
- 日本経済新聞(2025年10月29日)「東京ガスが20円増配 26年3月期の純利益2.6倍に上振れ」
- 東京ガス「2026年度 東京ガスグループ経営計画について」(2026年3月25日)
- 東京ガス 2024年3月期 決算説明会 質疑応答
- 東京ガス 有価証券報告書(2026年3月期・連結)