この創業からうかがえるのは、老舗が支配する新品呉服の表通りではなく、参入障壁の低い古手(古着)の裏通りから商いを起こした選択の意味である。振売や仲買が古着を持ち寄る坐摩神社前で、初代十合伊兵衛氏は多額の元手を持たずに信用と資金を少しずつ積み上げ、その蓄積を三代にわたって受け継いだ。派手さのない日常着の商いが、後の百貨店へつながる商家の土台を用意したと推察される。低い場所から出発した商いであればこそ、次代が業態を引き上げる余地も残されていたと読める。
もう一つ見えてくるのは、そごうが二度の業態転換を経て姿を変えていった経緯である。1877年に4代目十合伊兵衛氏が新品呉服へ移り、1919年の法人化を機に洋品・雑貨を加えて百貨店へ進んだ二段階の転換は、古手で培った商圏と資力を、より単価の高い領域へ順に振り向け直す歩みであったと読める。もっとも、心斎橋本店と神戸店への大規模投資は財務の重荷ともなり、1935年に創業家が経営を退く一因となった。低参入の古手から始めた商家が上場企業へ至る道のりは、業態を段階的に引き上げることと、その投資を支える資本をいかに確保するかという両輪の上にあったといえる。