スキンケアへの本格投資——製薬会社が化粧品で「肌ラボ」を生む

2004年実施

医薬品依存からの脱却か、畑違いへの冒険か——製薬会社がスキンケアに賭けるという判断

時期 2001年4月
意思決定者 山田邦雄(社長)
論点 事業多角化と収益源の分散
概要
2001年、1999年に社長へ就いた山田邦雄の主導で、ロート製薬がスキンケア分野への本格投資を始めた経営判断。医薬品開発で培った皮膚科学の知見を機能性化粧品へ転換し、2004年発売の「肌ラボ(肌研)」を軸に、医薬品と化粧品を両輪とする事業構造への転換を進めた。
背景
1990年代後半、胃腸薬・目薬・外皮用薬といった大衆薬は国内市場の成熟により成長余地が細り、価格と販促の競争が激しさを増していた。一方で健康志向と美容意識の高まりで化粧品市場は伸び、皮膚科学と親和性の高い領域に成長の余地があった。
内容
研究開発体制を強化し、皮膚科学の知見を機能性の訴求へ転換した。2004年、ヒアルロン酸を化粧品の常識を超える量で配合した化粧水「肌ラボ」を発売。「パーフェクトシンプル」を掲げ、高い機能を低価格で提供し、ドラッグストアの販路に乗せた。
含意
従来の製薬会社が成功例を持たなかった化粧品参入を、機能性と低価格の設計で成立させた。肌ラボはセルフ化粧品を代表する化粧水へ育ち、収益源は医薬品から化粧品へと広がった。同族経営ゆえの長い時間軸が、この十年がかりの育成を支えた面もある。
筆者の見解

畑違いを、強みの延長に変える

この判断の核心は、医薬品への依存から抜け出す道を、まったくの畑違いにではなく、皮膚科学という自社の強みの延長に見いだした点にある。製薬会社が化粧品に手を出して成功した例は乏しかったが、ロート製薬は成分の効きに焦点を絞り、高い機能を低い価格で差し出す設計で参入した。それはドラッグストアという伸びる販路とも合致していた。目薬や外皮用薬で積んだ皮膚と成分の知見を、そのまま化粧品の訴求へ組み替えた——冒険というより、持ち場を横へずらす判断だったとみるほうが正確だろう。

もっとも、少品種に絞って広告を厚く投じ、市場を取るというロート流のモデルは、市場が成熟すればコモディティ化の圧力にさらされる。実際、国内の肌ラボの伸びはやがて一巡し、次の主役を育てる課題が残った。医薬品から化粧品への転換が成功であったことは間違いない。だが、その化粧品もまた、いつか次の柱に道を譲る時が来る。強みをどの事業に映し替えていくか——この十年がかりの多角化は、成熟企業が問われ続けるその問いを、化粧品という形で一度うまく解いてみせた事例である。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

成熟した大衆薬と、伸びる美容市場

1990年代後半のロート製薬は、胃腸薬や目薬、外皮用薬といった大衆薬を主力としていたが、これらの国内市場はすでに成熟し、数量を伸ばして成長する余地は細っていた。価格の競争と販促の競争が激しくなり、従来の勝ち方が通じにくくなる。一方で、生活者の健康志向や美容への関心は高まり、スキンケアを中心とする化粧品市場は拡大していた。医薬品と地続きの皮膚科学という領域に、次の成長の余地が見えていた[1]

決断

製薬会社が化粧品に賭ける

1999年に社長へ就いた山田邦雄は、この局面で化粧品への本格参入を選ぶ。2001年からスキンケア分野へ資源を投じ、医薬品開発で培った皮膚科学の知見を、機能を前面に出した製品づくりへ転換していった。当時、製薬会社が化粧品で成功した前例はほとんどなかった。山田は、普通なら無理だと言われることでも成功できないわけではないという「何くそ精神」で挑んだと振り返っており、化粧品参入も、桁違いに大きい欧米企業を相手にした海外挑戦と同じ気概のもとにあった[2]

投資の成果は、2004年8月に発売した化粧水「肌ラボ」に結晶する。掲げたコンセプトは「パーフェクトシンプル」。うるおいの鍵をヒアルロン酸に定め、化粧品の常識を超える量を配合して、とろりとした独特の感触の化粧水に仕立てた。皮膚科学に通じた製薬会社だからこそ、成分の効きに焦点を絞り込めた。百貨店ブランドとは逆に、高い機能をあえて低い価格で差し出し、当時出店を急ぐドラッグストアの棚に乗せる——販路と価格の設計まで含めた一貫した参入であった[3]

結果

肌ラボの急伸と、収益源の転換

肌ラボは、発売から数年でロート製薬の成長を牽引する存在になった。2009年度には、肌研やオバジといったビューティー関連品の売上が213億円に達し、連結売上の約2割を占めるまでに育つ。当時の社長・吉野俊昭は、これらが成長の原動力となっていると株主に報告した。消費者が価格と費用対効果を重んじる方向へ変わるなかで、高機能・低価格という肌ラボの設計は、その変化とよくかみ合った。医薬品に偏っていた収益は、ここで化粧品という第二の柱を得た[4]

その後も肌ラボは伸び続け、2004年8月から2023年2月までの出荷は累計で4億個を超えた。スキンケアはロート製薬の主軸へと移り、ドラッグストアのスキンケア売上個数では国内首位に立つに至る。製薬会社の化粧品参入という当初の賭けは、二十年をかけて、医薬品と化粧品を両輪とする収益構造として結実した。目薬と胃腸薬の会社は、いつのまにか化粧品を最大の稼ぎ手とする会社へと姿を変えていた[5]

出典・参考