大和ネクスト銀行の設立による証券グループの銀行業参入

銀行を持たない証券会社は顧客の余裕資金をどうつなぎ留めるか——独立系に戻った大和が選んだ自前のネット銀行

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時期 2009年10月
意思決定者 鈴木茂晴 大和証券グループ本社 社長
論点 銀行を持たない証券会社が、顧客の余裕資金を自グループに取り込むために銀行業へ参入すべきか
概要
三井住友との合弁を解消して独立系総合証券へ回帰した大和証券グループ本社が、銀行を持たない証券会社の弱みを補うため、2009年10月の役員会でインターネット専業銀行の設立を決め、2011年に大和ネクスト銀行を100%子会社として開業した経営判断。証券総合口座と預金口座を自動で結ぶスイープ(のちのツインアカウント)で、顧客の余裕資金を自グループに取り込む狙いであった。
背景
1999年に証券業界初の純粋持株会社となった大和は、住友銀行系とのホールセール合弁で規模を追ったが、2010年1月に合弁を解消して独立系へ戻った。野村證券と異なり銀行を持たない同社では、顧客の待機資金が他行へ流れやすく、リテールの資金基盤の弱さが課題として残った。
内容
2009年10月23日、鈴木茂晴社長のもとで役員会がネット銀行の設立方針を公表した。取り扱う商品を資産運用商品としての預金に絞り、インターネットと営業店の対面を併用する。2010年4月に資本金1,650億円で株式会社大和ネクスト銀行を設立し、2011年4月に開業、5月に顧客向けサービスを始めた。
含意
ツインアカウントで積み上げた預金残高は2025年3月末に約4.3兆円、2026年1月には5兆円を突破し、100%子会社は黒字の安定収益源へ育った。銀行機能を自前で持つ判断は、のちの資産管理型ビジネスへの転換を資金の面から支える土台となった。
筆者の見解

証券会社が銀行を内製化するということ

この判断が踏み込んだのは、証券会社がみずからの銀行を持つという、業態の境をまたぐ発想であった。大和の源流である藤本ビルブローカーは、もともと銀行業と証券業を併営し、1933年の銀行法改正でどちらかを選べと迫られて証券専業へ転じた歴史を持つ。銀行免許を手放して出発した会社が、七十余年を経てみずから銀行免許を取り直した恰好になる。合弁で銀行の資本を借りるのでも、他行と提携するのでもなく、顧客の資金の入り口をグループの内側に置く選択であった。

証券口座に眠る余裕資金を預金として受け止める設計は、投資の入出金という日常の接点を握る点で、単品の商品を売買してきた証券モデルの限界を先取りしていたとみることができる。手数料の自由化とネット証券の広がりで売買仲介の稼ぎが細るなか、顧客の資産を長く預かる資産管理型へ移るには、決済と預金という土台がいる。大和ネクスト銀行は、その土台を証券本業の転換に先んじて据えた一手であった。証券会社がどこまで銀行に近づき、なお証券であり続けられるのか——5兆円の預金を抱えたいま、その問いはむしろ重みを増している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

銀行を持たない証券会社という弱み

大和証券グループ本社は1999年、上場企業として初めて純粋持株会社へ移行し、ホールセールを住友銀行系との合弁に、リテールを大和証券に分ける二層構造で野村證券との規模競争に臨んだ。銀行系の資本と顧客基盤を取り込み、業界2位として規模でトップに迫る狙いであった。ところが2010年1月、三井住友フィナンシャルグループがホールセールの主導権を強めるなかで合弁を解消し、独立系総合証券へと路線を戻す。鈴木茂晴社長は合弁解消で戦略の自由度が増し、三井住友グループ以外の企業へも新規に働きかけられると独立回帰の利点を語っていた。もっとも、銀行系の後ろ盾をみずから手放したことで、銀行を持たない証券会社という同社に固有の弱みが、あらためて経営の前面に立った[1][2][3]

野村證券が銀行を持たずとも巨大なリテール網で資金を回すのに対し、大和では顧客が投資に回さない待機資金が他行の口座へ流れ、グループ内にとどまりにくい構造が残っていた。世界金融危機で2009年3月期に連結最終赤字を負った同社は、翌2010年3月期には営業収益5,379億円・純利益434億円へ業績を戻したものの、収益は市況に振れやすい。安定した資金基盤をみずから築く必要が、独立回帰と時を同じくして意識されていた。2009年7月には不動産アセットマネジメントへ参入し、証券単体からの脱皮を探ってもいた[4][5]

決断

2009年10月、役員会が選んだ預金専業のネット銀行

2009年10月23日、鈴木茂晴社長のもとで大和証券グループ本社の役員会は、2011年の開業を目指してインターネット銀行を設立する方針を公表した。掲げたのは「お客様の資産形成におけるメイン金融グループ」であり、預金口座の提供を資産運用の入出金を支える手段と定義する。取り扱う商品は融資ではなく資産運用商品としての預金に絞り、インターネットと大和証券の営業店の対面を併せて届ける設計であった。融資でリスクを取る普通の銀行ではなく、証券本業の顧客の入出金と待機資金を預かる預金特化の銀行として、証券グループの顧客をそのまま銀行へ引き入れる構えであった[6]

制度設計の核は、新銀行の預金口座と大和証券の証券総合口座を独自に自動で振り替えるスイープ・サービスにあった。証券口座で投資に回らない余裕資金を、そのまま自グループの預金として受け止める仕組みで、のちに「ダイワのツインアカウント」と呼ばれる。2010年4月に資本金1,650億円で株式会社大和ネクスト銀行を設立し、大和証券グループ本社が全額を出資した。ネット専業としては異例に厚いこの資本は、証券グループの信用を背に大量の預金を受け入れる備えでもあった。2011年4月に銀行業の免許を得て開業する。設立を決めた鈴木氏から日比野隆司氏へ社長が代わる時期に、証券グループの銀行業参入が実を結んだ[7][8][9]

結果

積み上がった預金と、資産管理型を支える土台

2011年5月、大和ネクスト銀行は顧客向けサービスを開始した。証券と銀行の口座を結ぶツインアカウントは、対面営業で預かった資産に決済と預金の機能を重ね、余裕資金をグループ内にとどめる器として働く。預金残高は開業初年度末の2011年末に早くも約1兆2,300億円へ達し、同行は開業から間もなく黒字化していた。その後も年を追って積み上がり、2025年3月末には約4.3兆円、2026年1月には5兆円を突破した。当初1,650億円を投じた100%子会社は、開業から十数年で黒字の安定収益源へと育ったとみることができる。銀行を持たない弱みを、同社は自前の銀行で埋めにいった[10][11][12][13]

銀行機能をみずから抱える判断は、単発の商品売買から顧客の資産全体を預かる資産管理型ビジネスへ移る後年の路線を、資金の面から支える土台となった。証券口座に紐づく預金は、顧客との接点を投資から日々の決済へと広げ、他行へ流れかねない待機資金をつなぎ留める。開業翌年、日比野隆司社長は預金を証券取引の入り口と位置づけ、大和証券を使ったことのなかった新規の顧客に公社債や投信、株式を届ける「証銀連携ビジネスモデル」を確立したいと語っていた。ツインアカウントは大和証券の対面リテールが顧客資産を取り込むための基盤として、中田誠司社長・荻野明彦社長が進めた資産管理型への転換と地続きに置かれている。参入の一手は、単独の新規事業にとどまらなかった[14][15]

出典・参考
  • 大和証券グループ本社(2009年10月23日)「インターネット銀行の設立について」(https://www.bank-daiwa.co.jp/info/2009/1023_888.html)
  • 大和ネクスト銀行 会社概要(https://www.bank-daiwa.co.jp/about/company/profile/)
  • 大和証券グループ本社 有価証券報告書【沿革】
  • 大和証券グループ本社 有価証券報告書(連結)
  • 共同通信PRワイヤー(2026年1月19日)「大和ネクスト銀行 預金残高5兆円突破について」(https://kyodonewsprwire.jp/release/202601192652)
  • 週刊東洋経済 2010年2月20日号「大和証券グループ本社社長 鈴木茂晴 合弁解消のメリット多い。フリーハンドが増した」
  • 週刊東洋経済 2012年2月21日号「独立系で生き残れるか 大和証券社長を直撃」
  • 週刊東洋経済 2012年3月6日号「国内証券2位の行方 独立維持できるか大和証券」