重要な意思決定
199912月

伊藤忠テクノサイエンス(CTC)を株式上場

背景

伊藤忠データシステムを母体とするCTCの創立

1972年4月に伊藤忠は完全子会社として「伊藤忠データシステム」を設立した。これが現在のCTC(伊藤忠テクノソリューションズ)の原点にあたる。設立時の人員は約100名であったが、当時は高額だったコンピューターに触れた経験を持つ社員は数名にとどまったという。創業時の主力事業はコンピューター向け磁気テープの取扱であった。

1989年までに伊藤忠はシステム関連子会社を「伊藤忠テクノサイエンス」に集約し、2006年には「伊藤忠テクノソリューションズ」に商号を変更した。CTCの略称は「C.ITOH TECHNO-SCIENCE CO., LTD」に由来し、伊藤忠テクノサイエンスの時代から使用されている。システム機器の販売やシステム構築をサービスとして提供する事業体として、商社の情報子会社から独立した企業へと成長していった。

CTCの事業モデルは、海外のIT機器メーカーから国内販売権を獲得し、日本企業向けに機器の販売とシステム構築を一括して提供するものであった。商社の「商権確保」という手法をIT分野に応用した形であり、伊藤忠の子会社ならではの事業モデルであった。

決断

米ベンチャーの発掘と販売権獲得による商権確保の手法

CTCの事業を飛躍させる契機となったのは、1984年に米サンマイクロシステムズのUnixワークステーションの国内販売権を取得したことであった。当時のサンマイクロはベンチャー企業であったが、担当部長の佐武廣夫氏(のちのCTC会長)はUNIXの将来性に着目し、サンマイクロが標榜する「オープンなシステム」の思想に共感して販売権の獲得に至った。

その後もCTCは米国のベンチャー企業をいち早く発掘し、国内での独占的な販売権を確保する手法を確立していった。1992年にはシスコシステムズとオラクルの製品販売を相次いで開始した。大手メーカーの既存製品ではなく、成長途上のベンチャー企業の製品に着目して販売権を先行取得するという手法は、CTCの競争優位の源泉となった。

1994年には佐武廣夫氏がCTC社長に就任した(当時63歳)。サンマイクロとの関係構築からCTCの経営トップに至るまで、一貫して米国IT企業との取引拡大を推進した人物であった。1990年代を通じた国内のインターネット普及に伴いサーバー機器などの需要が増大し、CTCは1999年3月期(連結)に売上高1753億円・経常利益87億円を計上するまでに成長した。

結果

ネットバブル下での上場と伊藤忠の財務体質改善への寄与

1999年12月に伊藤忠はCTCの株式上場を実施した。ネットバブルの最中にあった株式市場においてCTC株は高い評価を受け、上場時の初値時価総額は1.1兆円を記録した。IT関連企業への投資家の期待が過熱していた時期の上場であり、ネットバブルを象徴する銘柄のひとつとなった。

伊藤忠はCTCの株式上場に際して保有株式の約30%を売り出し、特別利益を計上した。この売却益は、バブル期に取得した不動産を中心とする不良資産の処理原資に充当された。2000年3月期に伊藤忠が計上した特別損失3950億円の処理において、CTCの株式売却益がその一部を賄う構造となった。

1972年に設立された情報子会社が27年を経て、親会社の財務体質改善を支える存在となった。CTCの上場時期がネットバブルと重なったことは偶然の要素が大きいが、結果として伊藤忠が総合商社として単独存続するための布石として機能した。