1985 年3月

東亜石油の株式売却・石油精製から撤退

歴史的意義
「得意の時に最悪の事をやった」と越後正一が自省した石油事業の挫折

1960年代に和製メジャーを志向して東亜石油の株式38.5%を取得した伊藤忠は、オイルショック後の為替・原油価格変動に対応できず、累計損失約1300億円を被って完全撤退に至った。為替ヘッジの不備という管理上の問題に加え、社長の弟が東亜石油代表を務めるというガバナンス上の課題も指摘しうる。越後正一氏が「得意の時に最悪の事をやった」と自省した言葉は、好況期の投資判断が構造的リスクの評価を欠いていたことを示す。

背景

オイルショック後の為替・原油変動でリスク管理の不備が露呈

1971年のニクソンショックと1973年のオイルショックにより、為替と原油価格が大きく変動する時代に突入した。石油の買付けや販売条件によって事業収益が左右される構造となったが、伊藤忠の石油事業の責任者はこれらの為替リスクのヘッジを十分に行わなかった。東亜石油の代表には越後正一氏(伊藤忠・当時社長)の弟が就任していたが、経営は好転しなかった。

1976年3月期に東亜石油は経常損失120億円を計上し、知多製油所の稼働率は1978年3月期に60%まで低下した。環境配慮型の設備として推定500億円を投じた知多精油所は、稼働率の低下により採算割れの状態に陥った。伊藤忠にとって、石油精製事業は非繊維拡大の柱として位置づけられていたが、為替・原油価格のリスク管理が追いつかない状態が続いた。

決断

東亜石油からの完全撤退と累計損失約1300億円の代償

1970年代後半に伊藤忠は社内に「東亜石油問題」のプロジェクトを発足させ、1978年に事業縮小の方針を決定した。同年に東亜石油の経営権譲渡を決め、保有株式の一部を売却。1985年3月には残りの保有株式(約10%)を昭和シェルに売却し、東亜石油から完全に撤退した。

伊藤忠が東亜石油関連で被った累計損失額は約1300億円に及んだとされる。1960年代に「和製メジャー」を志向して石油の採掘から精製まで一貫体制を構築したものの、為替・原油価格の変動リスクへの対応が不十分であったことが巨額損失の構造的要因であった。越後正一氏は「得意の時に最悪の事をやってしまった」と振り返っている。