安宅産業を救済合併・新日鐵の商権確保
巨額損失で倒産状態に陥った安宅産業と住友銀行による救済構想
安宅産業は大手総合商社として知られ、最盛期の1974年度には売上高2兆円を計上する大企業であった。ところが、カナダにおける石油精製事業(NRCプロジェクト)で巨額損失を計上し、不良債権2000億円を抱えて事実上の倒産状態に陥った。1977年3月期には最終赤字1330億円を計上し、安宅産業のメインバンクであった住友銀行は同社の救済を決断した。
住友銀行は、同じくメインバンクの関係にあった伊藤忠に対して、同業者として安宅産業を吸収合併するよう要望した。越後正一氏(伊藤忠・当時社長)は、1964年に伊藤忠が財務悪化に苦しんでいた際に住友銀行が融資に応じたことを「恩」と捉えていた。このため、住友銀行への義理を果たす形で安宅産業の救済合併を受け入れる判断を下した。
有力商権の選別取得と社員約2/3を引き受けない合併スキーム
1977年10月に伊藤忠は安宅産業の合併を決定した。安宅産業が保有する「鉄鋼(新日鐵との取引あり)・化学」などの有力商権を取得する一方で、不採算事業や人材流出により商権が消滅した事業(機械・繊維・パルプ・木材)については取得を見送った。安宅産業の社員数3661名に対して伊藤忠に転籍したのは1058名に留まり、約2/3の社員が希望退職により失職する形となった。
伊藤忠にとって、安宅産業の合併は非繊維分野の商権を拡大する契機となった。とりわけ鉄鋼部門における新日鐵との取引は、繊維偏重からの脱却を進める伊藤忠にとって重要な商権であった。もっとも、合併の動機が経営戦略上の合理性ではなく、メインバンクへの義理にあったという点は、この合併の性質を特徴づけている。
非繊維部門の拡大と「義理による合併」という意思決定の構造
安宅産業の救済合併により、伊藤忠は鉄鋼をはじめとする非繊維部門の取引基盤を拡大した。繊維比率の低下が進み、総合商社としての事業バランスが改善される契機となった。有力商権を選別的に取得するスキームにより、合併に伴うリスクを限定する設計がなされていた。
一方で、この合併は「メインバンクへの義理」を動機とする意思決定であった点が特異である。越後正一氏は住友銀行からの要請に対して「39年の恩を返します」と即答しており、経営合理性とは異なる次元での判断であった。戦後日本の企業社会においてメインバンク関係が商社の重大な経営判断を規定した事例として、構造的な意味を持つ合併であった。