重要な意思決定
1966

東亜石油の株式取得・採掘から精製の一貫体制を志向

背景

非繊維拡大を志向する伊藤忠が石油精製事業に参入

1960年代に入り、伊藤忠は繊維偏重からの脱却を図り、非繊維分野の拡大を経営方針に掲げた。そのなかで最大の意思決定となったのが、石油精製・石油採掘への参入であった。1963年5月に石油精製事業への参入検討を開始し、1965年には石油精製を主力とする上場企業・東亜石油の株式38.5%を取得した。大株主であったアラビア石油が株式放出を決めたことで、伊藤忠がその株式を取得する機会を得た。

東亜石油における主要な投資は「知多精油所」の新設であった。1970年前後の日本国内では公害問題が深刻化しており、東亜石油は知多精油所の新設にあたり環境配慮型の設備導入を自治体と確約した。この一環として「ガス化脱硫装置」を導入し、知多精油所の建設・設備関連で推定500億円の投資を実行した。

決断

イアプコ社への出資により石油採掘に参入し一貫体制を構築

1969年に伊藤忠は米イアプコ社の株式を2000万ドルで一部取得し、インドネシア・ジャワ島沖における石油採掘の権益を確保した。スマトラ島沖の鉱区は石油採掘の可否が未確認の段階であったが、伊藤忠はその不確実性を承知のうえで出資を決めた。石油精製(東亜石油)に加えて採掘権益を取得することで、川上から川下まで一貫した石油事業を手掛ける「和製メジャー」構想を推進した。

1971年にイアプコ社はスマトラ島沖の鉱区で石油の採掘に到達した。採掘された原油を東亜石油の知多精油所で精製する体制が実現し、伊藤忠の和製メジャー構想は具現化した。繊維商社から総合商社への転換において、石油事業は最も大規模な投資を伴う案件となった。

結果

採掘と精製の一貫体制が実現するも為替リスクの伏線を内包

イアプコ社の採掘到達により、伊藤忠は石油の採掘から精製までを一貫して手掛ける体制を整えた。知多精油所ではガス化脱硫装置の導入により環境規制にも対応し、精製能力の増強を進めた。繊維商社からの脱却を図る伊藤忠にとって、石油事業は非繊維分野における最重要の投資であった。

もっとも、この石油事業は1970年代以降の為替変動とオイルショックにより大きな試練を迎えることになる。為替リスクのヘッジが十分に行われなかったことが、のちの東亜石油における巨額損失の伏線となった。非繊維への拡大が急務であった伊藤忠にとって、石油事業は最大の賭けであり、同時に最大のリスクを孕んだ投資でもあった。