阪急百貨店と阪神百貨店の経営統合とエイチ・ツー・オー リテイリングの発足(2007年成立)
親会社の鉄道統合に続き、なぜ梅田で競う2つの百貨店は1つの持株会社へ集約されたのか?
エグゼクティブサマリー
- 2007年、大阪・梅田で隣り合う阪急百貨店と阪神百貨店が経営統合し、持株会社エイチ・ツー・オー リテイリングが発足した案件。
- 前年の2006年に親会社の阪急ホールディングスと阪神電気鉄道が経営統合し阪急阪神ホールディングスが発足。傘下に並んだ両百貨店の括り直しが課題となっていた。
- 阪急百貨店が株式交換で阪神百貨店を完全子会社化し、会社分割で百貨店事業を切り出して持株会社へ移行。旧阪急百貨店がエイチ・ツー・オー リテイリングへ商号変更した。
- 大丸・松坂屋のJ.フロント、三越・伊勢丹の三越伊勢丹と並ぶ、2007〜2008年の百貨店連鎖再編の関西版。地域ドミナントによる梅田一番店の確立を狙った統合である。
- 村上ファンドが阪神電鉄株の大量保有を公表し、阪神百貨店株も保有
- 阪急ホールディングスと阪神電気鉄道が経営統合し阪急阪神ホールディングス発足
- 阪急百貨店と阪神百貨店が業務提携、委員会「H2プロジェクト」発足
- 両社取締役会が経営統合を決議し基本合意を公表(10月1日付の株式交換)
- 株式交換を実行しエイチ・ツー・オー リテイリングが発足、傘下に新・阪急百貨店を新設
- 阪急百貨店と阪神百貨店が合併し株式会社阪急阪神百貨店が誕生
統合の背景
親会社の統合——鉄道再編が百貨店に波及する
阪急百貨店と阪神百貨店の経営統合は、その親会社にあたる鉄道会社どうしの統合を起点としている。2006年10月、阪急ホールディングスと阪神電気鉄道が経営統合し、阪急阪神ホールディングスが発足した[1]。この鉄道再編の引き金となったのは、2005年9月に阪神電鉄の株式を大量に取得した投資ファンド、いわゆる村上ファンドの動き[2]であったとされる。村上ファンドは阪神電鉄株のほか、阪神百貨店の株式も保有していた。鉄道会社が同じ持株会社の傘下に並ぶことで、それぞれが抱える百貨店事業——阪急百貨店と阪神百貨店——も、同一グループのなかで隣り合う関係になった。
梅田という主戦場——西日本最大の商業集積地
両社の本店が向かい合う大阪・梅田は、西日本最大の商業集積地である。当時の梅田周辺では、競争環境が大きく変わろうとしていた。三越の新規進出が控え、大丸梅田店も増床・改装を打ち出し、JR大阪駅北側の再開発など大型プロジェクトが相次いでいた[3]。大阪・北地区における地域一番店の阪急百貨店と二番店の阪神百貨店が、それぞれ単独で外来の競合と渡り合うよりも、ブランドを保ちながら経営資源を共有するほうが得策とみられた[4]。統合の狙いは、補完と競争の関係を保ちつつ、地域で圧倒的な強さをもつ百貨店を築くことに置かれていたとされる。
阪急百貨店は1929年に創業し、世界初のターミナルデパートとして知られる老舗である[5]。これに対し阪神百貨店は1933年に阪神マートとして開業し、後に阪神電鉄から百貨店業を引き継いで設立された。高級路線の阪急と、食料品や実用品に強みをもつ庶民的な阪神という、性格の異なる二店が梅田に並び立っていた。阪急百貨店は2004年ごろから関西を主戦場とする地域ドミナント戦略を掲げており[6]、より地域に密着した百貨店どうしの統合という色彩が濃かったとみられる。
統合の発端
業務提携から経営統合へ——H2プロジェクト
統合は段階を踏んで進んだ。親会社の鉄道統合と同じ2006年10月、阪急百貨店と阪神百貨店は包括的な業務提携を結び、提携委員会「H2プロジェクト」を発足させた[7]。大阪・北地区で地域一番店と二番店の関係にある両社が、互いの強みを生かし経営資源を共有することで競争力を高める——その検討を担う枠組みである。提携で連携の余地を見極めたうえで、より踏み込んだ経営統合へと議論が進んでいった。
基本合意——2007年3月の決議
2007年3月26日、両社の取締役会は経営統合を決議し、基本合意を公表した[8]。同日のニュースリリースの表題は「株式会社阪急百貨店と株式会社阪神百貨店の経営統合(株式交換ならびに会社分割による持株会社体制への移行)に関する基本合意のお知らせ」というものであった。両社は、それぞれのブランドを活かしながら一体となって経営基盤を築き、互いの経営資源を共有・活用することが最善であると判断したとされる[9]。統合の実行日は2007年10月1日と定められた。
統合の経過
株式交換と会社分割——持株会社体制への移行
統合のスキームは、株式交換と会社分割を組み合わせたものであった。2007年10月1日、阪急百貨店が株式交換によって阪神百貨店を完全子会社化したうえで、自らの百貨店事業を会社分割で切り出し、新たな株式会社阪急百貨店を新設した[10]。事業を移した旧阪急百貨店は持株会社となり、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社へ商号を変更した。社名のH2Oは水を表し、地球環境になくてはならない存在になぞらえた命名とされる。これにより、上場会社としての旧阪急百貨店(証券コード8242)が持株会社エイチ・ツー・オー リテイリングへと姿を変え、その傘下に新・阪急百貨店と阪神百貨店が並ぶ体制が整った。
統合の比率について、基本合意の公表資料では、株式交換比率は第三者機関による資産評価などの精査を経て決定するとされていた。当方では確定した交換比率の数値を一次資料で確認できなかったため、本稿では比率を断定しない。なお、同時期の三越と伊勢丹の経営統合では、株式移転比率が伊勢丹1に対し三越0.34と公表されており[11]、グループ内の親会社が同一という本件とは前提が異なる点には留意が必要である。
百貨店連鎖再編のなかで
この統合は、当時の百貨店業界を席巻した再編の連鎖のなかに位置づけられる。2007年9月には大丸と松坂屋ホールディングスが共同持株会社J.フロント リテイリングを設立し、翌2008年4月には三越と伊勢丹が共同株式移転で三越伊勢丹ホールディングスを発足させた[12]。少子高齢化と消費構造の変化で百貨店市場が縮小に向かうなか、規模の確保と地域基盤の強化を狙う動きが相次いだ。大丸・松坂屋が全国展開どうしの統合であったのに対し、阪急・阪神は地域に密着した百貨店どうしの統合であり[13]、再編の性格は一様ではなかった。
統合の帰結
阪急阪神百貨店への合流
持株会社化から1年後、統合はさらに一段進む。2008年10月1日、傘下の株式会社阪急百貨店と株式会社阪神百貨店が合併し、株式会社阪急阪神百貨店が誕生した[14]。これにより、両店の運営会社は一本化された。もっとも「阪急」「阪神」の店舗ブランドはその後も併存し、高級路線の阪急と食に強い阪神という二つの顔を残したまま、運営の効率化と資源の共有が進められた。エイチ・ツー・オー リテイリングは、この阪急阪神百貨店を中核に据えた小売グループとして関西で歩むことになった。
統合後のエイチ・ツー・オー リテイリングは、百貨店を出発点としつつ、食品スーパーなど関西の小売事業へ事業領域を広げていく。店舗網は阪急電鉄・阪神電鉄の沿線に厚く[15]、鉄道とともに沿線の暮らしを支える阪急阪神東宝グループの一翼を担う存在となった。鉄道の統合が百貨店の統合を呼び、百貨店の持株会社化が合併を呼ぶという段階的な再編は、結果として関西の地域ドミナントを志向する小売グループの輪郭を描き出したとみられる。
親会社の統合が子会社の統合を導く力学
この案件は、純粋な事業上の競争戦略だけでなく、親会社どうしの統合という上位の構造変化が下位の事業統合を導いた点に特徴があるとみられる。阪急と阪神は梅田で長く競い合ってきたが、鉄道会社が同じ持株会社の傘下に並んだことで、百貨店もまた同一グループのなかで重複事業として向き合うことになった。競合関係にあった二社が一つの傘の下に入ったとき、業務提携から持株会社化、そして合併へと段階を踏んで距離を縮める進め方は、急進的な統合に伴う摩擦を和らげる現実的な手順だったと読むこともできる。
一方で、店舗ブランドを残したまま運営会社を一本化する手法は、統合の効果と顧客基盤の維持を両立させようとする百貨店再編に共通の発想でもある。同時期のJ.フロントや三越伊勢丹と同様、市場縮小という構造的な逆風のなかで規模と地域基盤を確保する動きの一つとして、本件を位置づけることができるだろう。鉄道・不動産・小売を束ねるグループのなかで、百貨店という事業がどのような役割を担い続けるのかは、その後も問われ続けるテーマとなったとみられる。
- エイチ・ツー・オー リテイリング ニュースリリース(2007年3月26日)「株式会社阪急百貨店と株式会社阪神百貨店の経営統合(株式交換ならびに会社分割による持株会社体制への移行)に関する基本合意のお知らせ」
- エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社「沿革」(企業情報・公式サイト)
- 株式会社阪急阪神百貨店「1990年代〜経営統合まで|阪急阪神百貨店のあゆみ」(公式サイト)
- 株式会社阪急阪神百貨店「阪急百貨店の沿革」「阪神百貨店の沿革」(公式サイト)
- Business+IT(SBクリエイティブ)2007年3月26日「阪急と阪神、百貨店も経営統合へ」
- MARR Online(マールオンライン)2022年「百貨店業界〜市場縮小の中で大型再編(2007〜2008年)後の大手百貨店はどう動いてきたか(第2回)」
- Bloomberg 2007年8月23日「伊勢丹、三越:経営統合で合意、統合比率は1対0.34-来年4月」