重要な意思決定
軍縮を受けて和議申請
背景
昭和恐慌と軍縮による経営危機
1920年代後半から昭和恐慌の影響が日本経済全体に波及するなかで、川崎造船所の経営は急速に悪化した。とりわけ海軍軍縮条約の締結によって艦艇の新規建造需要が大幅に縮小し、海軍向け売上に依存していた川崎造船所の収益基盤は根底から揺らいだ。1928年5月には経営責任を問われる形で松方社長が引責辞任に追い込まれた。 当時の川崎造船所は従業員数1.3万名を抱えていたが、受注の激減により工場の稼働率が低迷し、非稼働の人件費が収益を圧迫する状況に陥った。慢性的な赤字が続くなかで資金繰りは逼迫し、自力での経営再建は困難な状態であった。
決断
和議申請と政府融資による存続
1931年7月、川崎造船所は和議を申請し、従業員3,000名の人員整理に踏み切った。事実上の経営破綻であったが、日本政府としては海軍艦艇を建造できる大規模造船所を解散させることが国益に反すると判断し、特別の融資を決定。川崎造船所は和議を経ながらも会社の存続を果たした。 和議申請後、川崎造船所は経営再建に着手した。折しも1930年代には日中戦争の勃発や軍縮条約の廃棄により、日本国内で軍拡の流れが鮮明化。川崎造船所は海軍向け艦艇の建造を再び拡大することで業績を好転させ、1945年の終戦まで軍需によって事業を再拡大した。経営危機を乗り越えた一方で、軍需依存の構造はより一層深化する結果となった。