重要な意思決定
189610月

株式会社川崎造船所を設立

背景

事業承継を見据えた株式会社化

川崎正蔵氏は造船事業の永続的な発展を図るため、1896年10月に個人経営から法人化への転換を決断し、株式会社川崎造船所(現・川崎重工業)を設立した。設立時点の川崎正蔵氏の株式保有比率は21.48%に留められており、創業者への資本集中を避けつつ事業を承継する意図が明確であった。会社設立時の従業員数は1,800名を数え、すでに相当規模の造船所として稼働していた。 初代社長には、当時の日本国首相であった松方正義氏の三男・松方幸次郎氏が就任した。松方家の政界・財界における人脈と信用力を活用することで、海軍を中心とする官需の獲得を有利に進める狙いがあった。川崎正蔵氏は経営を次世代に委ねることで、創業者に依存しない組織的な経営体制の構築を図った。

決断

大型ドック建設と海軍需要への傾斜

設備投資の面では、1902年11月に神戸造船所において約6年の工期を経て「6,000トンの乾ドック」を新設した。当時としては国内最大規模の建造設備であり、大型船舶や海軍艦艇の建造に対応する能力を備えた。1915年には神戸造船所において巡洋戦艦榛名を竣工するなど、海軍向けの艦艇建造を主力事業として確立した。 以後、川崎造船所は主に海軍からの艦艇受注によって造船メーカーとしての業容を拡大した。しかし、売上の多くを海軍需要に依存する構造が形成されたことで、軍拡と軍縮の政策動向によって業績が大きく変動する課題を内包するようになった。この海軍依存の事業構造は、のちの昭和恐慌期における経営危機の伏線となった。