重要な意思決定
18784月

川崎築地造船所を創業

背景

貿易商から造船業への参入

明治維新後の日本では、富国強兵・殖産興業の国策のもとで海運の近代化が推進されており、造船業は将来の成長が見込まれる産業として注目されていた。1853年のペリー来航を契機に大船建造禁止令が撤廃されて以降、三菱をはじめとする有力資本家が造船事業に相次いで参入し、近代造船所の設立が活発化していた。 こうしたなかで、貿易業に従事していた川崎正蔵氏は、海上輸送の拡大に伴う船舶需要の将来性に商機を見出し、造船事業への参入を決断。1878年(明治11年)4月に東京築地にて川崎築地造船所を創業した。新規造船と修繕業務に従事し、明治20年の時点で従業員数は約600名に達するなど、民間造船所としての基盤を着実に固めた。

決断

官営兵庫造船所の取得と神戸進出

しかし、東京築地の造船所は拡張に限界があった。海運業は神戸を中心に発展する見通しが強まっており、川崎正蔵氏は事業の飛躍に向けて拠点移転を決断した。1896年に明治政府から「官営兵庫造船所」の払い下げを受け、東京から神戸に拠点を移転。払い下げは50ヵ年の分割払いに設定されており、明治政府が川崎正蔵氏の造船事業への貢献と信用力を高く評価した結果であった。 神戸移転後の業容は着実に拡大した。明治20年から明治29年までの10年間において新造船80隻・修繕船589隻に携わり、日本国内では三菱に次ぐ第2位の造船所として頭角を現した。この時期に培った造船技術と顧客基盤が、のちの株式会社川崎造船所の設立、さらには現在の川崎重工業への発展を支える礎となった。