1960年〜 三菱重工からの分離とクライスラー提携の制約
- 1970年三菱自動車を設立
- 1970年三菱重工業の自動車部門を譲受け営業開始
- 1977年岡崎工場を新設
- 1979年滋賀工場を新設
- 1980年三菱商事と海外販売で協業
- 1997年総会屋利益供与事件が発覚
- 1997年河添克彦氏が社長に就任
三菱自動車の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
三菱自動車の設立と不平等な合衆国流通契約
三菱重工業の自動車部門は1960年代にトヨタ・日産に乗用車販売で劣勢にあり、事業拡大には独立した経営体制が必要であるという判断が社内で共有されていた。一方、米国のクライスラー・コーポレーションは日本進出の足場を求めており、1969年に三菱重工業との間で合弁設立の合意に至る。1970年4月、三菱重工業の全額出資によって三菱自動車工業が設立され、同年6月には三菱重工業から京都製作所の一部(現・京都工場)、名古屋自動車製作所(現・岡崎製作所)、水島自動車製作所(現・水島製作所)など計4製作所を譲り受けて営業を開始した。1971年にはクライスラーが三菱自動車の株式15%を取得する資本提携が正式に成立し、日米資本による自動車メーカーとして再出発する体制が整った。 [1][2][3]
- 三菱自動車工業 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1970年4月 三菱重工業の全額出資により三菱自動車工業を設立
- [2]1970年6月 三菱重工業から京都製作所一部・名古屋自動車製作所・水島自動車製作所・他1製作所(計4製作所)を移管受け営業開始
- [3]1971年 クライスラーが三菱自動車の株式15%を取得(資本提携成立)
しかし資本提携と同時に締結された「合衆国流通契約」の条件は、三菱自動車にとって構造的に不利だった。同契約のもとで北米市場では2ドア車限定かつクライスラーの独占販売という制約を受け、主力商品である4ドア小型車の米国市場への輸出は事実上封じられ、自社販売網の構築も認められないという「不平等条約」として働いた。当時の久保富夫社長は後に「非常に縛られるような提携はやめるべき」と述懐しており、経営陣の間では契約の見直しが早期から課題として意識されていた。1981年の契約改定までの約10年間、北米事業は構造的に制約され、提携先との力関係に経営が左右される構造が創業時点で胚胎した。 [4]
- 三菱自動車工業 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [4]合衆国流通契約は1981年に改定
- 三菱自動車工業 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1970年4月 三菱重工業の全額出資により三菱自動車工業を設立
- [2]1970年6月 三菱重工業から京都製作所一部・名古屋自動車製作所・水島自動車製作所・他1製作所(計4製作所)を移管受け営業開始
- [3]1971年 クライスラーが三菱自動車の株式15%を取得(資本提携成立)
- [4]合衆国流通契約は1981年に改定
パジェロ発売と海外市場の独自開拓
1977年8月に名古屋自動車製作所岡崎工場を新設し、1979年12月には京都製作所滋賀工場を新設することで、乗用車とエンジンの量産体制を順次整えた。1980年10月には三菱商事と共同出資でミツビシ・モーターズ・オーストラリア・リミテッドを設立し、1981年12月には同じく三菱商事との共同出資でミツビシ・モーター・セールス・オブ・アメリカ・インクを設立して、米国市場への自社販売網の構築に着手した。1982年に発売したSUV「パジェロ」はパリ・ダカールラリーでの輝かしい実績とともに海外市場での知名度を高め、三菱自動車にとって最も象徴的な商品としての地位を長年にわたって保ち、ブランドの顔としての役割を果たした。 [5][6][7][8][9]
- 三菱自動車工業 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [5]1977年8月 名古屋自動車製作所岡崎工場を新設
- [6]1979年12月 京都製作所滋賀工場を新設
- [7]1980年10月 三菱商事と共同出資でミツビシ・モーターズ・オーストラリア・リミテッドを設立
- [8]1981年12月 三菱商事と共同出資でミツビシ・モーター・セールス・オブ・アメリカ・インクを設立
- 有価証券報告書
- [9]1982年 SUV「パジェロ」を発売
1985年10月にはクライスラーとの合弁会社ダイヤモンド・スター・モーターズ・コーポレーションを米国に設立し、北米での現地生産に乗り出した。1985年にはクライスラーが三菱自動車の株式出資比率を20%に引き上げ、両社の関係は一段と深まった。1988年12月には東京・大阪・名古屋の各証券取引所の市場第一部に株式を上場し、日本の主要自動車メーカーとしての地位を名実ともに得た。1995年7月にはダイヤモンド・スター・モーターズを「ミツビシ・モーター・マニュファクチュアリング・オブ・アメリカ」へ商号変更し、1997年8月にはタイのエムエムシー・シティポールの株式の過半数を取得して、東南アジアを軸とした海外生産基盤づくりへと方針を定めた。 [10][11][12][13][14]
- 三菱自動車工業 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1985年10月 クライスラーとの合弁会社ダイヤモンド・スター・モーターズ・コーポレーションを米国に設立
- [12]1988年12月 東京・大阪・名古屋各証券取引所の市場第一部に株式上場
- [13]1995年7月 ダイヤモンド・スター・モーターズを「ミツビシ・モーター・マニュファクチュアリング・オブ・アメリカ」へ社名変更
- [14]1997年8月 タイのエムエムシー・シティポールの株式の過半数を取得
- 有価証券報告書
- [11]1985年 クライスラーが三菱自動車への出資比率を15%から20%に引き上げ
- 三菱自動車工業 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [5]1977年8月 名古屋自動車製作所岡崎工場を新設
- [6]1979年12月 京都製作所滋賀工場を新設
- [7]1980年10月 三菱商事と共同出資でミツビシ・モーターズ・オーストラリア・リミテッドを設立
- [8]1981年12月 三菱商事と共同出資でミツビシ・モーター・セールス・オブ・アメリカ・インクを設立
- [10]1985年10月 クライスラーとの合弁会社ダイヤモンド・スター・モーターズ・コーポレーションを米国に設立
- [12]1988年12月 東京・大阪・名古屋各証券取引所の市場第一部に株式上場
- [13]1995年7月 ダイヤモンド・スター・モーターズを「ミツビシ・モーター・マニュファクチュアリング・オブ・アメリカ」へ社名変更
- [14]1997年8月 タイのエムエムシー・シティポールの株式の過半数を取得
- 有価証券報告書
- [9]1982年 SUV「パジェロ」を発売
- [11]1985年 クライスラーが三菱自動車への出資比率を15%から20%に引き上げ