創業から56年。1回の決断

概要- Historical Summary -
1970年設立。三菱重工業の自動車部門を分離して発足し、クライスラーとの資本提携で海外展開の足がかりを得た。パジェロやランサーで海外市場を開拓し、東南アジアではタイ現地法人の子会社化で生産基盤を構築した。しかし2001年と2004年に二度のリコール隠しが発覚して経営危機に陥り、ダイムラークライスラーとの提携も解消。三菱グループの支援で存続し、2016年に日産自動車と戦略提携を締結してルノー・日産アライアンスに参画した。
概要- Historical Summary -
1970年設立。三菱重工業の自動車部門を分離して発足し、クライスラーとの資本提携で海外展開の足がかりを得た。パジェロやランサーで海外市場を開拓し、東南アジアではタイ現地法人の子会社化で生産基盤を構築した。しかし2001年と2004年に二度のリコール隠しが発覚して経営危機に陥り、ダイムラークライスラーとの提携も解消。三菱グループの支援で存続し、2016年に日産自動車と戦略提携を締結してルノー・日産アライアンスに参画した。
1970
決断
三菱自動車株式会社を設立
「不平等条約」が暗示した提携依存の宿命——繰り返される外資との力学
1971
クライスラーが株式取得
1971クライスラーが株式取得
1977
岡崎工場を新設
1977岡崎工場を新設
1978
東洋工機で四輪車生産を開始(パジェロ製造)
1978東洋工機で四輪車生産を開始(パジェロ製造)
1978
クライスラーが経営危機
1978クライスラーが経営危機
1979
滋賀工場を新設
1979滋賀工場を新設
1980
三菱商事と海外販売で協業
1980三菱商事と海外販売で協業
1982
SUV「パジェロ」を発売
1982SUV「パジェロ」を発売
1985
クライスラーと合弁基本契約を解消
1985クライスラーと合弁基本契約を解消
1985
クライスラーと合弁で米国現地生産法人を設立
1985クライスラーと合弁で米国現地生産法人を設立
1988
東京証券取引所第1部に株式上場
1988東京証券取引所第1部に株式上場
1994
米国法人でセクハラ民事訴訟
1994米国法人でセクハラ民事訴訟
1995
東洋工機を買収(岐阜工場発足・パジェロ製造)
1995東洋工機を買収(岐阜工場発足・パジェロ製造)
1997
タイの現地法人を子会社化
1997タイの現地法人を子会社化
1998
米国事業で人員削減
1998米国事業で人員削減
2000
ダイムラークライスラーと提携
2000ダイムラークライスラーと提携
2001
リコール隠しで副社長を書類送検
2001リコール隠しで副社長を書類送検
2001
早期退職者を募集
2001早期退職者を募集
2003
三菱ふそうを売却
2003三菱ふそうを売却
2004
リコール隠しが発覚(2回目)
2004リコール隠しが発覚(2回目)
2004
財務状況が悪化・経営危機
2004財務状況が悪化・経営危機
2005
ダイムラークライスラーと提携解消
2005ダイムラークライスラーと提携解消
2008
オーストラリアでの現地生産を終了
2008オーストラリアでの現地生産を終了
2015
北米での現地生産を終了
2015北米での現地生産を終了
2016
日産と戦略提携契約を締結
2016日産と戦略提携契約を締結
2021
最終赤字に転落
2021最終赤字に転落
2021
パジェロ製造の乗用車工場を閉鎖
2021パジェロ製造の乗用車工場を閉鎖
2024
日産・ホンダ・三菱自動車の経営統合を発表
2024日産・ホンダ・三菱自動車の経営統合を発表
業績を見る
売上三菱自動車:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
27,895億円
売上高:2024/3
利益三菱自動車:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
5.5%
利益率:2024/3
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区分売上高利益利益率
1972/3単体 売上高 / 当期純利益---
1973/3単体 売上高 / 当期純利益---
1974/3単体 売上高 / 当期純利益---
1975/3単体 売上高 / 当期純利益---
1976/3単体 売上高 / 当期純利益---
1977/3単体 売上高 / 当期純利益---
1978/3単体 売上高 / 当期純利益---
1979/3単体 売上高 / 当期純利益8,745億円156億円1.7%
1980/3単体 売上高 / 当期純利益9,030億円140億円1.5%
1981/3単体 売上高 / 当期純利益11,079億円83億円0.7%
1982/3単体 売上高 / 当期純利益10,821億円131億円1.2%
1983/3単体 売上高 / 当期純利益10,613億円126億円1.1%
1984/3単体 売上高 / 当期純利益11,736億円55億円0.4%
1985/3単体 売上高 / 当期純利益14,083億円66億円0.4%
1986/3単体 売上高 / 当期純利益15,788億円253億円1.6%
1987/3単体 売上高 / 当期純利益15,586億円144億円0.9%
1988/3単体 売上高 / 当期純利益17,526億円110億円0.6%
1989/3単体 売上高 / 当期純利益---
1990/3単体 売上高 / 当期純利益---
1991/3単体 売上高 / 当期純利益---
1992/3連結 売上高 / 当期純利益30,871億円295億円0.9%
1993/3連結 売上高 / 当期純利益31,804億円258億円0.8%
1994/3連結 売上高 / 当期純利益29,469億円55億円0.1%
1995/3連結 売上高 / 当期純利益34,141億円126億円0.3%
1996/3連結 売上高 / 当期純利益35,370億円127億円0.3%
1997/3連結 売上高 / 当期純利益36,720億円115億円0.3%
1998/3連結 売上高 / 当期純利益37,352億円-1,018億円-2.8%
1999/3連結 売上高 / 当期純利益35,126億円56億円0.1%
2000/3連結 売上高 / 当期純利益33,349億円-233億円-0.7%
2001/3連結 売上高 / 当期純利益32,767億円-2,781億円-8.5%
2002/3連結 売上高 / 当期純利益32,006億円112億円0.3%
2003/3連結 売上高 / 当期純利益38,848億円373億円0.9%
2004/3連結 売上高 / 当期純利益25,194億円-2,154億円-8.6%
2005/3連結 売上高 / 当期純利益21,226億円-4,747億円-22.4%
2006/3連結 売上高 / 当期純利益21,200億円-921億円-4.4%
2007/3連結 売上高 / 当期純利益22,028億円87億円0.3%
2008/3連結 売上高 / 当期純利益26,821億円347億円1.2%
2009/3連結 売上高 / 当期純利益19,735億円-548億円-2.8%
2010/3連結 売上高 / 当期純利益14,456億円47億円0.3%
2011/3連結 売上高 / 当期純利益18,284億円156億円0.8%
2012/3連結 売上高 / 当期純利益18,072億円239億円1.3%
2013/3連結 売上高 / 当期純利益18,151億円379億円2.0%
2014/3連結 売上高 / 当期純利益20,934億円1,046億円4.9%
2015/3連結 売上高 / 当期純利益21,807億円1,770億円8.1%
2016/3連結 売上高 / 当期純利益22,678億円1,976億円8.7%
2017/3連結 売上高 / 当期純利益19,066億円-458億円-2.5%
2018/3連結 売上高 / 当期純利益21,923億円1,196億円5.4%
2019/3連結 売上高 / 当期純利益25,145億円1,460億円5.8%
2020/3連結 売上高 / 当期純利益22,702億円-257億円-1.2%
2021/3連結 売上高 / 当期純利益14,554億円-3,123億円-21.5%
2022/3連結 売上高 / 当期純利益20,389億円740億円3.6%
2023/3連結 売上高 / 当期純利益24,581億円1,687億円6.8%
2024/3連結 売上高 / 当期純利益27,895億円1,547億円5.5%
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1970
4月

三菱自動車株式会社を設立

「不平等条約」が暗示した提携依存の宿命——繰り返される外資との力学

三菱自動車の設立時に締結された「合衆国流通契約」は、北米市場における2ドア車限定・独占販売という深刻な制約を課すものであった。クライスラー側の合理的な自己防衛であると同時に、三菱自動車の海外成長を構造的に封じる仕組みでもあった。提携先との力関係に経営が左右される構造は、のちのダイムラークライスラーとの関係でも再現されており、三菱自動車の歴史を貫く課題として創業時点で既に胚胎していた。

背景

三菱重工の自動車事業拡大とクライスラーの日本進出

1960年代後半、三菱重工業の自動車部門は乗用車・トラック・バスを幅広く手がけていたが、トヨタや日産と比較して乗用車の販売規模では劣勢にあった。自動車事業の拡大には莫大な設備投資と販売網の整備が必要であり、三菱重工の一部門として運営する体制では、迅速な意思決定や外部からの資本調達に限界があった。

一方、米国の大手自動車メーカーであるクライスラーは日本市場への進出を模索していた。1960年代には米GMがいすゞ自動車と、米フォードがマツダ(東洋工業)と提携しており、クライスラーとしても日本メーカーとの提携を通じた事業展開が課題となっていた。両社の利害が一致し、1969年5月に三菱重工とクライスラーは自動車事業における合弁提携で合意した。

決断

三菱重工から自動車部門を分離・合弁会社として発足

1970年4月に三菱重工業の子会社として「三菱自動車株式会社」を設立。同年6月に三菱重工から自動車部門(水島・名古屋・京都・川崎の各製作所)を譲り受けて営業を開始した。1971年にはクライスラーが三菱自動車の株式15%を取得し、三菱重工とクライスラーの共同事業として経営体制を整えた。

発足直後の1972年度における国内販売シェアは、乗用車6.6%、トラック11.4%、バス22.2%であり、大型商用車(大型トラック34.6%、大型バス37.3%)に強みを持つ構成であった。乗用車市場ではトヨタ・日産に大きく引き離されており、合弁パートナーであるクライスラーの販売網を活用した海外展開が成長の鍵と位置づけられた。

結果

「不平等条約」が北米市場の成長を制約

しかし、合弁の枠組みには三菱自動車にとって深刻な制約が内包されていた。クライスラーと締結した「合衆国流通契約」により、三菱自動車は米国市場において「2ドア車のみの販売」かつ「クライスラーによる独占販売」という条件を無期限で受け入れた。主力の4ドア小型車の輸出が封じられ、自社の販売網を形成することもできない状態となった。

クライスラーにとっては、三菱自動車を日本進出の足がかりとしつつ北米市場では自社と競合しない仕組みを確保する合理的な契約であった。しかし三菱自動車にとっては「不平等条約」と形容される制約であり、北米における事業拡大の障壁となった。この契約は1981年の改定まで続き、提携当初からクライスラーとの関係悪化の要因となった。久保富夫社長は「非常に縛られるような提携はやめるべき」と述べており、合弁パートナーとの力関係が経営を制約する構造的な問題は、のちのダイムラークライスラーとの提携においても繰り返されることとなった。

「不平等条約」が暗示した提携依存の宿命——繰り返される外資との力学

三菱自動車の設立時に締結された「合衆国流通契約」は、北米市場における2ドア車限定・独占販売という深刻な制約を課すものであった。クライスラー側の合理的な自己防衛であると同時に、三菱自動車の海外成長を構造的に封じる仕組みでもあった。提携先との力関係に経営が左右される構造は、のちのダイムラークライスラーとの関係でも再現されており、三菱自動車の歴史を貫く課題として創業時点で既に胚胎していた。

証言久保富夫(三菱自動車・社長)

僕がこの会社に来た時、両社(注:三菱自動車とクライスラー)はえらく不信の仲でしたね。相互不振は極まるものがありました。その後、提携のメリットを生かそうということに努力し、現在は精神的には極めて良好です。が、一つ問題なのは、北米、アフリカ、中米地区などで、クライスラーが当社の独占販売権を握っていることです。向こうも本気に売るようになり、だいぶ販売量は増えていますが・・・。

というのは米国のメーカーは省エネルギーのため、今後小型車志向に転換せざるを得ない状況にある。すると80年代にはクライスラーが自社の小型車販売に当然力を入れるだろうから、われわれの車の米国市場での売れ行きにひびきかねない。この点、契約変更して、なんとか米国で自社の車を売れるようにしなければと考えています。(略)

非常に縛られるような提携はやめるべきでしょうね。環境が絶えず変わりますから、10年、20年、50年先をみて、ノンエクスクルーシブ(非独占的)な契約を結ぶべきです。いちいち指摘すると差し障りがありますが、率直に言って、三菱グループでも随分、不利な提携がありますよ。(略)

GMは開発などの面でクライスラーより上でしょう。ですから、いすゞがGMと組んで得たメリットは、われわれがクライスラーと提携して得たものより大きかったと思います。

出所1978/7/31 日経ビジネス
年表三菱自動車株式会社を設立に関する出来事
19695月三菱重工とクライスラーが合弁事業で提携
19704月三菱自動車株式会社を合弁設立(三菱重工・クライスラー)
19706月三菱重工から自動車部門を譲受
1971
クライスラーが株式取得
1977
岡崎工場を新設
1978
東洋工機で四輪車生産を開始(パジェロ製造)
1978
クライスラーが経営危機
1979
滋賀工場を新設
1980
三菱商事と海外販売で協業
1982
SUV「パジェロ」を発売
1985
クライスラーと合弁基本契約を解消
1985
クライスラーと合弁で米国現地生産法人を設立
1988
東京証券取引所第1部に株式上場
1994
米国法人でセクハラ民事訴訟
1995
東洋工機を買収(岐阜工場発足・パジェロ製造)
1997
タイの現地法人を子会社化
1998
米国事業で人員削減
2000
ダイムラークライスラーと提携
2001
リコール隠しで副社長を書類送検
2001
早期退職者を募集
2003
三菱ふそうを売却
2004
リコール隠しが発覚(2回目)
2004
財務状況が悪化・経営危機
2005
ダイムラークライスラーと提携解消
2008
オーストラリアでの現地生産を終了
2015
北米での現地生産を終了
2016
日産と戦略提携契約を締結
2021
最終赤字に転落
2021
パジェロ製造の乗用車工場を閉鎖
2024
日産・ホンダ・三菱自動車の経営統合を発表