ロシュと戦略提携を締結
バイオ医薬品時代における開発費高騰と海外販路の不足
1990年代後半、医薬品産業は低分子化合物中心の開発からバイオ医薬品へ移行する転換期にあった。抗体医薬をはじめとするバイオ製剤は、開発に多額の資金と長い時間を要する一方、上市後の売上規模は大きく、世界市場での展開が前提となりつつあった。欧米の大手製薬企業は規模を活かしてグローバル開発を進めていたが、日本の製薬企業の多くは開発費の負担と海外販売網の不足から、単独での世界展開に踏み切れずにいた。
中外製薬は1970年代からバイオ研究を継続し、ノイトロジンの開発で蓄積した技術を基盤に、1990年代後半には抗体医薬「アクテムラ」が臨床段階に入っていた。研究開発力においては国内有数の蓄積を持つ一方、後期臨床試験と海外市場での販売には自社の資本規模を超える投資が必要であった。創薬力を維持しながら世界市場に到達するための事業構造が模索されていた。
永山治社長とスイス・ロシュのフランツ・フーマーCEOは、それ以前から医薬品業界の将来について意見を交わす間柄にあった。両者の共通認識は「21世紀は新薬開発の難度が上がり、研究開発費は増大する一方、成功確率は下がる」というものであった。ロシュ側もバイオ医薬品の研究で欧州をリードしており、傘下のジェネンテックは米国のバイオ製薬大手であった。バイオ創薬に強みを持つ両社が資源を補完し合う構想が、提携交渉の出発点となった。
ロシュの過半出資を受け入れ創薬と販売の役割を分担する
2001年12月、中外製薬はロシュとのアライアンスに関する基本合意を発表した。2002年9月にはロシュが公開買付けと第三者割当増資を通じて中外製薬株式を取得し、2003年3月末時点で50.13%を保有した。形式上はロシュの子会社となったが、上場維持と経営の自主性を条件とし、10年間の追加買い増し制限条項も設けられた。
この提携の骨格は、研究開発と販売の役割分担であった。中外製薬は創薬と初期開発に経営資源を集中させ、後期臨床試験と海外販売はロシュのグローバルネットワークに委ねる。一方でロシュは、中外が創出する新薬候補を世界市場で展開し、日本市場では中外製薬の販売力を活用する。2002年10月にはロシュ日本法人と合併し、国内でのロシュ製品販売も中外製薬が担う体制となった。
永山は後年、この決断について「確信があったわけではありません」と述べている。バイオ医薬品の製造には細胞培養・精製技術と専用設備への莫大な投資が必要であり、自社単独ではその負担を継続しきれないという構造認識が判断の根底にあった。過半出資という資本構成は日本企業としては異例であったが、創薬機能を国内に残しつつ世界市場と接続する方法として選択された。
資本の自主性と引き換えに構築された創薬集中の事業モデル
提携後、中外製薬は研究開発への資源配分を強化し、複数の抗体医薬を同時に開発する体制を整えた。後期臨床試験と海外販売のコストをロシュが負担する構造により、中外製薬は創薬と初期開発に投下資本を集約できるようになった。2005年には国産初の抗体医薬品「アクテムラ」を発売し、この提携の枠組みのもとで世界市場への展開が進められた。
外資比率は2003年3月末時点で73.34%に達し、日本の上場製薬企業としては例外的な資本構成となった。しかし、創薬と初期開発の意思決定は引き続き中外製薬が主導し、研究拠点と研究人材は国内に維持された。この分業体制は、開発リスクと販売投資の分担によって研究継続性を担保するものであり、資本構成と機能配置を分離して設計された提携構造であった。
この戦略提携は、規模で劣る製薬企業が世界市場に参加するための一つの解を提示した。自社が優位性を持つ機能に特化し、それ以外を外部に委ねるという選択は、全工程を自社で完結させるフルインテグレーション型とは異なる事業モデルであった。資本面での自主性を一部手放す代わりに創薬集中の体制を構築するという判断が、その後の中外製薬の事業方向を規定した。