重要な意思決定
1991

バイオ製剤「ノイトロジン」を発売

背景

低分子薬が主流の時代に始まった遺伝子組換え製剤の研究

1970年代から1980年代にかけて、日本の製薬業界は低分子化合物を主軸とした創薬が主流であった。化合物ライブラリーを起点とする開発手法が一般的であり、分子量の大きいバイオ医薬品は開発期間と製造工程の両面で不確実性が高く、投資対象として選ばれにくい分野であった。遺伝子組換え技術による製剤開発は、製造設備や品質管理の体系が低分子薬とは根本的に異なり、事業化には長期にわたる技術蓄積が求められた。

中外製薬は1970年代半ばから、白血球を増やす遺伝子組換え製剤「ノイトロジン」の研究を進めていた。分子量は低分子薬の数十倍に及び、製造方法は未確立であった。1980年代初頭の段階では売上や利益への寄与は見込めず、研究の継続には経営判断が必要な状況にあった。短期的な収益に直結しない基礎研究への投資をどの時点まで続けるかという問いが、経営に突きつけられていた。

決断

収益化時期の見えないバイオ研究への投資継続を経営が決断

1980年代初め、当時の社長であった上野公夫と研究開発担当役員の佐野肇は、ノイトロジンの研究を継続する決断を下した。投資回収の時期は見通せず、臨床試験と製造設備への追加投資が必要であったが、研究の中断は選択されなかった。のちに社長となる永山治は「その開発を続ける決断を当時の経営者がしていなかったら、いまの中外はないと思います」と振り返っている。

1987年に臨床試験が開始され、1991年にバイオ製剤として上市された。研究着手から上市まで十数年を要したが、その過程で中外製薬は遺伝子組換え製剤の開発と製造に関する知見を社内に蓄積した。低分子薬とは異なる品質管理体系や製造工程の設計経験が、組織内に定着していった。

結果

ノイトロジン開発で蓄積されたバイオ創薬の技術と人材

ノイトロジンの上市は、単一製品の売上獲得にとどまらず、バイオ医薬品の研究・開発・製造に必要な技術と人材を社内に残す結果をもたらした。遺伝子組換え技術を用いた製剤の実用化を経験したことで、同社は後続のバイオ医薬品開発に着手する際の技術的前提を獲得した。1990年代後半に臨床段階に入った抗体医薬「アクテムラ」の開発は、ノイトロジンで蓄積された知見の延長線上にあった。

一方で、ノイトロジンの開発過程は、バイオ医薬品の事業化に必要な投資規模と時間軸の長さを明確にした。後期臨床試験から海外展開までを自社単独で担うには、中外製薬の資本規模では限界があった。この認識は、2002年のロシュとの戦略提携において、創薬と初期開発に自社資源を集中し後期開発と海外販売を外部に委ねるという役割分担の構想につながった。