経営破綻・伊藤忠が救済へ
1330億円の最終赤字と2000億円超の不良債権が判明
1976年度の決算において、安宅産業は1330億円という空前の最終赤字を計上した。企業としての単独存続が困難な財務状況に陥り、安宅産業の不良債権は2000億円以上に及ぶと報じられた。そのうち約1000億円はNRCプロジェクトの頓挫に起因するものであったが、残りの約1000億円は国内における不動産投資の損失であることが判明した。
NRC関連の損失に注目が集まるなかで、国内不動産投資における不良債権の存在が明らかとなったことは、安宅産業の経営管理体制の問題がNRCに限定されるものではなかったことを示していた。石油プロジェクトと不動産投資という異なる分野での損失が同時に顕在化したことで、安宅産業の負債は当初の想定を大幅に上回る規模となった。
安宅産業の経営破綻が日本経済全体に波及することを懸念した金融当局とメインバンクは、協調融資による救済策の策定に着手した。住友銀行と協和銀行を中心として16行の銀行による協調融資団が結成され、安宅産業への融資額は総額2646億円に達した。とりわけメインバンクの住友銀行の負担は大きく、1977年度に同行は1132億円の不良債権を一括償却する処理を行った。
伊藤忠商事による吸収合併と安宅産業の消滅
1977年10月1日、安宅産業は伊藤忠商事に吸収合併され、1909年の創業以来68年の歴史に幕を下ろした。伊藤忠商事は安宅産業の合併を本来は回避したい立場にあったが、伊藤忠のメインバンクでもある住友銀行および協和銀行から強い要請を受け、合併を決断せざるを得ない状況に置かれた。16行の協調融資によって安宅産業の債務を処理しつつ、伊藤忠が事業を引き継ぐ枠組みが採用された。
ただし、伊藤忠商事は安宅産業の全部門を引き受けたわけではなく、競争力のある部署のみを選別して吸収した。安宅産業の社員数3681名に対して、伊藤忠が受け入れたのは1058名にとどまった。伊藤忠に移籍できるか否かが社員にとっての焦点となり、限られた正社員の座をめぐって社員間で熾烈な争いが展開された。
伊藤忠に移籍できなかった約2000名の社員は、希望退職に応じて安宅産業を去った。大手総合商社に勤務するエリートと目されていた人々が大量に職を失う事態は、終身雇用が定着しつつあった日本のサラリーマン社会に衝撃を与えた。安宅産業の破綻とリストラは、大企業に勤務すること自体が生活保障にはならないという現実を浮き彫りにした。
戦後日本における大企業破綻の象徴として記憶される
安宅産業の破綻は戦後日本の大企業としては異例の規模であり、当時の十大ニュースにも数えられた。総合商社という社会的地位の高い企業が経営破綻に至った過程は、企業小説のような波乱に富む展開として世間の耳目を集めた。安宅産業に関連する書籍が数多く出版されて広く読まれたのは、サラリーマン層にとって安宅産業の破綻が他人事ではなかったことの表れであった。
1980年にはNHKが安宅産業の破綻をモデルにしたフィクションドラマ「ザ・商社」を放映し、安宅産業の物語は映像作品としても広く知られることとなった。<a href='https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010254_00000'><u>→NHK「ザ・商社」の映像リンク</u></a>創業家による経営支配、大型プロジェクトへの傾斜投資、メインバンクとの関係、そして大量のリストラという一連の出来事は、日本的経営の構造的な問題を凝縮した事例として語り継がれている。
安宅産業の破綻から得られる示唆は、第一に少数株主の創業家が経営を実質支配するガバナンスの歪み、第二に自己資本に対して過大な借入による大型投資の脆弱性、第三に単一プロジェクトの頓挫が全社の存続を脅かす事業ポートフォリオの集中リスクにある。これらの問題は後の日本企業のコーポレートガバナンス改革において繰り返し参照されることとなった。