重要な意思決定
1975

安宅アメリカの業績が悪化

背景

オイルショックによる原油価格暴騰でNRC社が経営破綻

1973年10月にオイルショックが発生し、中東の原油価格が暴騰するという異常事態に陥った。原油価格の高騰は、中東原油を原料とするNRC社の精製所に直接的な打撃を与えた。精製された航空機燃料の価格競争力が喪失し、NRC社の精製所の稼働率は70%まで低下した。採算が取れない状態が続いたことで、NRC社は経営破綻に至り、負債総額は5.7億ドルという巨額に上った。

安宅産業は子会社の安宅アメリカを介してNRC社に巨額の融資を実行していた。加えて、NRC社に対する販売済みの原油代金5.0億ドルのうち、回収できたのはわずか1.3億ドルにとどまり、残りの大半が不良債権と化した。NRC社という単一の取引先の破綻が、安宅アメリカの財務を直撃する構図であった。

そして、安宅産業の経営危機を決定的にしたのが、BP社との間で締結された「石油の10年間買取契約」の存在であった。NRC社が破綻した後もBP社は契約の履行を求め続けたため、安宅アメリカは高騰した原油を購入し続けなければならなかった。取引先が消滅しているにもかかわらず仕入義務だけが残るという、商社として最悪の事態に陥ったのである。

決断

安宅アメリカの財務悪化が安宅産業本体に波及

NRCプロジェクトの損失を直接負ったのは、安宅産業の100%子会社である安宅アメリカであった。1974年度における安宅アメリカの財務状況は、資本金83億円に対して売上高3867億円、経常利益4.8億円、純利益1.9億円、借入金1700億円というものであった。純利益に対する借入金の比率は約100倍に達しており、自力での再建は不可能な状態にあった。

安宅アメリカの債務は親会社の安宅産業に連結されるため、子会社の財務破綻は安宅産業本体の信用を直撃した。安宅産業のNRC関連の損失額は500億〜1500億円とも報じられ、メインバンクの住友銀行および協和銀行に対して追加融資を要請する事態となった。しかし、両行は安宅産業の救済は困難と判断し、追加融資を拒絶した。

借入金に依存して大型プロジェクトを推進してきた安宅産業にとって、メインバンクの融資拒絶は致命的であった。自己資本では到底賄えない規模の損失を抱え、新規の借入も不可能となったことで、安宅産業の債務超過が事実上確定した。安宅産業のほとんどの社員はNRCとは無関係の業務に従事しており、自社の経営危機は多くの社員にとって予想外の事態であった。

結果

毎日新聞のスクープ報道で経営危機が表面化

安宅産業の経営危機が社会的に表面化したのは、1975年12月7日の毎日新聞朝刊に掲載されたスクープ記事によるものであった。同記事は安宅産業のNRCプロジェクトに起因する巨額損失を報じ、安宅産業が経営破綻の瀬戸際にあることを明るみに出した。この報道を機に、安宅産業の経営危機は社内外で公知の事実となった。

社内では報道を受けて動揺が広がった。NRCプロジェクトは米国拠点の一部署が進めていた案件であり、鉄鋼や木材といった主力部門の社員にとっては自分たちの業務とは無縁の取引であった。しかし、その1つのプロジェクトの損失が全社の存続を脅かす規模に膨らんだことで、安宅産業は全社的な経営危機に直面することとなった。

報道後、安宅産業の取引先や債権者の間でも信用不安が広がり、商取引の縮小と資金繰りの逼迫が同時に進行した。安宅産業の経営陣は事態の収拾を図ったが、NRC関連の不良債権に加えて国内の不動産投資の損失も明らかとなり、安宅産業の負債は当初の想定をさらに上回る規模であることが判明していった。