官営八幡製鐵所と取引開始
鉄鋼・機械・木材で国内トップメーカーとの取引網を拡大
戦前を通じて安宅産業は、海外貿易よりも国内のトップメーカーとの取引を軸に内地取引を拡大する方針を遂行した。鉄鋼では日本製鐵(八幡製鐵所)、産業機械では津田駒工業と日立製作所、化学肥料では日本窒素とイビデン、パルプでは王子製紙、毛織物では日本毛織など、各業界のトップメーカーから仕入れを行った。幅広い分野のメーカーとの取引関係が、安宅産業の国内販売基盤を形成した。
1930年代に入ると、安宅産業は米国の有力工作機メーカーであるグリーソン社(Gleason)の代理店となり、同社製機械の国内販売を請け負った。販売先はいずれも日本国内のメーカーであり、安宅産業が国内の顧客基盤を重視する姿勢は海外メーカーの代理店業務においても一貫していた。国内メーカーとの関係を起点として事業領域を横に広げていく手法が、安宅産業の戦前における基本戦略であった。
八幡製鐵の指定商に認定され鉄鋼販売権を獲得
数ある取り扱い品目のなかでも、鉄鋼の取引は安宅産業にとって格別の重要性を持っていた。1926年、安宅産業は官営の八幡製鐵所(のちの日本製鐵)から指定商として認定され、同社の鉄鋼販売を担う商社の1社に選ばれた。指定商は三井物産や三菱商事など大手財閥系に限られた特権的な地位であり、非財閥系である安宅産業がこの認定を獲得した意味は大きかった。
指定商として安宅産業が担った鉄鋼の主な販売先は、川崎重工業(旧川崎製鉄・川崎造船所)をはじめとする造船メーカーであった。日本の造船業は戦前を通じて拡大しており、安宅産業は鉄鋼メーカーと造船メーカーの間に立つ流通機能を果たすことで、安定的な取引量を確保した。八幡製鐵との取引は、安宅産業が総合商社へ成長する過程における収益の柱となった。
木材輸入の拡大と戦後の総合商社化への布石
メーカー取引に加えて、安宅産業は木材の輸入にも事業領域を広げた。戦前を通じて満州・樺太・南太平洋から木材を輸入する体制を構築し、鉄鋼と並ぶ主要な取扱品目に育てた。素材分野における幅広い品目の取り扱いは、安宅産業が将来的に総合商社を目指すうえでの基盤となった。
こうして安宅産業は、戦前の段階で鉄鋼・機械・化学肥料・パルプ・毛織物・木材という多岐にわたる品目を扱う商社に成長した。いずれの品目においても国内トップメーカーとの直接取引を基盤としており、この販売網が安宅産業の競争力の源泉であった。戦後、日本経済の復興と高度成長に伴って各メーカーの生産量が増大すると、安宅産業の取扱高もそれに連動して拡大していくこととなる。