重要な意思決定
1994

買収積極化を表明。HDD依存から脱却

背景

HDD依存度80%が招いた赤字転落と、単一市場集中リスクの顕在化

1994年度に日本電産はHDD向けモータの需要減速を受けて最終赤字に転落した。当時、HDD関連製品は全社売上高の約80%を占めており、パソコン市場の需給変動が直接的に日本電産の業績を左右する構造にあった。世界シェア80%超という圧倒的な市場支配力を持ちながらも、顧客産業の集中がそのまま経営リスクとなることが明らかになった。

1995年にマイクロソフトがWindows95を発売するとパソコン需要は回復し、日本電産も翌期に黒字転換を果たした。しかし永守重信は一時的な回復に安堵せず、HDD依存の構造的な脆弱性を経営課題として認識した。1997年ごろに永守はHDD向け売上比率を全体の3分の1以下に引き下げる方針を打ち出し、2002年までの完了を目標として設定した。

売上高の9割を占める事業の比率を3分の1にまで縮小するという目標は、日本電産の事業構造そのものを作り替えることを意味した。自社開発による新規参入では時間がかかりすぎるため、永守はM&Aを主軸に据える戦略を選択した。

決断

「汚い工場、怠惰な社員、高い仕入れ」の三条件を満たす企業を選んで買収

HDD以外の事業領域を開拓するにあたり、日本電産は自社開発ではなく企業買収を主軸に据えた。自動車・家電向けモータへの参入には販売先の開拓が不可欠であったが、日本市場では取引実績のない新規参入者に対する障壁が高く、既存の取引関係と信用力を持つ企業を買収するほうが効率的であった。加えて日本電産は創業以来モータの組立に特化して成長した企業であり、精密加工技術の蓄積が不足していたため、技術獲得の手段としても買収が合理的であった。

買収先の選定基準は独特であった。永守は「工場が汚い」「社員の勤務態度が悪い」「仕入れコストが高い」という3条件を満たし、かつ収支がトントンの企業を好んで買収対象とした。悪い状態で損益が均衡するのであれば、規律改善だけで高収益化が見込めるためであった。逆に、社員が勤勉で経営陣が努力しているにもかかわらず赤字の企業は、本業の競争力に問題があり再建が困難として敬遠した。

買収後のPMIにおいては、事前に買収先の労働組合と「従業員を解雇しない」という契約を締結した。人員削減によるコストカットではなく、工場の清掃、勤務規律の徹底、仕入れ先の見直しといった運営改善によって収益性を向上させるのが日本電産のPMIの特色であった。

結果

大手企業の子会社を次々に傘下に収め、事業領域を拡大

1995年から1998年にかけて日本電産は年間2社程度のペースで買収を実施した。共立マシナリ、シンポ工業、トーソク、リードエレクトロニクス、京利工業、コパルといった企業に次々と資本参加した。トーソクは日産自動車系列の部品メーカーであり、この買収によって自動車業界との取引実績を獲得した。

永守は買収の目的を「歴史と信用の購入」と表現した。米国であれば製品の性能と価格で取引が決まるが、日本市場では取引実績と企業の歴史が重視される。50年近い歴史を持つトーソクを買収することで「日産の親戚」という信用が付与され、新規取引先の開拓が容易になったという。製品力だけでは突破できない日本市場の商慣習を、M&Aによって迂回する戦略であった。

この結果、日本電産はHDD向け一本足の事業構造から、自動車・家電・産業機器向けを含む多角的なモータメーカーへと変貌を遂げた。以後も2000年代・2010年代を通じて買収は加速し、日本電産のM&A件数は累計60社を超える規模に拡大した。