重要な意思決定
1994

ROEを重視・組織改革を推進

背景

米国子会社の指摘を受けて鈴木会長が日本的経営の限界を認識

1990年代前半のHOYAは主力製品の高シェアと直販体制により安定した収益を上げていたが、資本効率の面では国際的な水準に達していなかった。鈴木哲夫会長はHOYAの米国子会社の役員からROE(株主資本利益率)が低すぎるとの指摘を受け、改革の必要性を認識した。従来の「日本的経営」が行き詰まると判断した鈴木は、投下資本と人員の最適化がHOYAの生き残る道であると考えた。

鈴木は「終身雇用と年功序列を柱とする日本的経営システムは、日本でしか通用しない」という認識を持っており、日本企業としては異例の資本効率重視の経営への転換を志向した。当時の日本企業でROEを経営指標として明示的に掲げる企業は稀であった。加えて、1990年のコンタクトレンズ回収事案による事業の後退や、主力事業の成熟化も改革を後押しする背景にあった。

改革の契機が社内の自発的な反省ではなく、米国子会社の役員からの外圧であった点は、日本企業の内発的な変革の難しさを示している。安定した収益を上げている企業が自らの経営構造を問い直す動機は、外部からの指摘なしには生まれにくい。鈴木は70歳の時点でこの指摘を受けて改革を決意しており、年齢にかかわらず認識を転換できる経営者であった。

決断

ROEを軸に中期計画を策定し事業と人員の大規模な選別を断行

1994年にHOYAは3カ年の中期経営計画を策定し、ROEを経営の基軸指標に据えた。事業面では「エレクトロオプティクス事業」への集中投資を決定し、ガラス磁気メモリディスクの生産設備に資源を振り向けた。従来の主力であった眼鏡事業は成熟化したと判断し、投資の優先順位を引き下げた。事業の選択と集中をROEという定量的な基準に基づいて実行する方針であった。

組織・人事改革では、余剰人員の削減、分社化による人員の移管、新卒定期採用の廃止、管理職数の半減、取締役の17名から8名への削減、社外取締役の起用、子会社の22社から7社への集約など、広範な施策が実行された。特に問題となったのはクリスタル部門に従事する人員の処遇であり、収益性の低い事業に固定された人材をどう再配置するかが改革の焦点であった。

鈴木は「終身雇用には全く意味がないという気はないが、社員の70%は終身雇用でもいい。しかし年功序列は不必要だ」と述べ、雇用の全面否定ではなく、年功序列の廃止と人材の流動化に改革の重点を置いた。「何十年か前に食器の技術者として入社した人が、今は仕事がなくなっているのに会社に残っている」という鈴木の問題提起は、事業構造の変化に人事制度が追随できていない実態を指し示していた。

結果

220名の退職と939名の移管で人件費を圧縮し高収益体質へ転換

改革の結果、220名が退職し、939名が分社化による移管でHOYA本体から切り離された。労務費および人件費を15億〜20億円削減し、本社の固定費構造が軽量化された。取締役会は社内16名体制から、社内7名・社外1名の8名体制に再編された。当時の日本企業では社外取締役を登用する企業はほとんど存在せず、HOYAの取締役会改革は先駆的な事例として注目された。

これらの改革により、HOYAはROEを意識した資本効率の高い経営に移行した。事業の選択と集中は、後にクリスタル事業からの撤退やペンタックスの買収・売却といった大胆なポートフォリオの入れ替えへとつながった。不採算事業に固定された人材と資本を解放し、成長事業に再配分する仕組みを制度化した点に、この改革の本質があった。

鈴木が主導した1994年の改革は、HOYAが「高シェア・高収益」の企業から「資本効率重視の企業」へと経営思想を転換した起点であった。シェア戦略がHOYAの事業基盤を築いたのに対し、ROE経営は事業基盤の入れ替えを可能にする仕組みを提供した。この2つの経営思想が時系列で重層化したことが、HOYAの経営体質を特徴づけている。