半導体用マスクサブストレートの製造開始
光学事業部でフォトマスク用ガラス基板を開発し半導体製造の部材に参入
1970年にHOYAの光学事業部においてフォトマスク用サブストレートが開発された。半導体の製造工程では回路パターンを転写するためのフォトマスクが使用されるが、そのマスクの基板には高い平面精度と低い熱膨張係数を持つガラス素材が求められた。HOYAは光学ガラスの製造で培った組成・溶解・加工技術をこの分野に応用した。
1972年にはIBMからIC用マスクプレートを受注し、事業の本格化を決定した。子会社として保谷電子を設立し、1973年には山梨県に長坂工場を新設して生産体制を整備した。光学ガラスメーカーが半導体の製造工程に不可欠な部材の供給者へと転じる転換点であり、HOYAの多角化戦略の中で最も長期的な収益基盤を生む事業への参入であった。
ガラス素材からクロムマスクまでの一貫生産を構築し世界首位を確保
1974年にHOYAは半導体用マスクサブストレートの本格製造を開始した。さらに1980年にはクロムブランクスの製造に着手し、ガラス基板の上にクロム膜を成膜した製品の供給を開始した。1983年には東京都八王子市に生産技術研究所を設立し、クロムマスクの製造にまで事業を拡大した。ガラス素材からクロムマスクまでの一貫生産体制を構築した形であった。
半導体メーカーからはHOYAがガラス素材からクロムマスクまでを一貫生産するメーカーとなることが求められていた。HOYAはこの要請に応えることで、1980年の時点でクロムブランクスの世界シェア約60%を確保し、世界首位の地位を確立した。一貫生産が可能なサプライヤーは限られるため、参入時期の早さが参入障壁の形成に寄与した。
光学ガラス技術が半導体産業の供給網で代替困難な地位を確立
光学ガラスの組成・溶解・研磨という創業以来の技術基盤が、半導体産業のサプライチェーンにおける支配的な地位の構築に直結した。HOYAにとってのマスクサブストレート事業は、既存技術の応用先として参入障壁が高く、かつ需要が半導体産業の成長とともに拡大する事業であった。1980年時点で世界シェア60%を確保した事実は、技術の転用先が適切であれば支配的地位が比較的短期間で確立されうることを示している。
この事業は、後にEUVマスクブランクスへと発展し、最先端半導体の製造工程に不可欠な部材としてHOYAの収益の柱となった。創業期に軍需向けBK7を溶融するために開発された坩堝技術から、半導体マスク基板の製造に至るまでの技術的連続性は、HOYAの多角化が異分野への飛び地的な拡大ではなく、光学ガラス技術の応用という一本の軸に沿って展開されたことを物語っている。