多角化を遂行・シェアを重視
主力事業の市場飽和に直面した社長復帰後の多角化への方針転換
1970年に鈴木哲夫がHOYAの社長に復帰した。1967年の社内クーデターで相談役に退いてから3年が経過しており、その間に株式の買い増しを進めて経営権を取り戻した形であった。復帰当時のHOYAは、主力であったクリスタルガラスの食器事業やカメラ向け光学ガラス事業において、市場の飽和による成長の鈍化に直面していた。
鈴木はこの状況を受けて、既存事業の延長ではなく新規分野への多角化に経営資源を振り向ける方針を打ち出した。多角化の対象として選定されたのは、ソフトコンタクトレンズや半導体用マスクサブストレートといった、光学技術を応用できる周辺領域であった。いずれも技術的参入障壁が高く、市場規模は限定的だが高シェアを獲得すれば安定した収益が見込める領域であった。
主力製品でシェア50%を目標に据え競合との投資余力格差を設計
多角化と並行して、HOYAは主力製品のシェアに関する経営目標を明文化した。主力製品でシェア50%以上を確保するか、2位企業の2倍のシェアを握るか、2位と3位の合計を上回るシェアを得るか、いずれかの条件を達成することを目標として掲げた。鈴木はシェアの高さが製品1単位あたりのコストを引き下げ、競合との間に投資余力の格差を生むと考えていた。
シェアの維持にあたっては、好況期にも工場の稼働率を意図的に抑制し、生産能力に余力を残す操業方針を採った。不況期に競合他社が過剰在庫と値下げに直面する中で、HOYAは安定した稼働を維持してシェアを拡大するという設計であった。シェアそのものを「かけがえのない資産」と定義した鈴木の考え方は、HOYAの経営思想の核心をなした。
ニッチ市場のトップシェアの集合として高収益体質が定着
1970年代以降、HOYAはソフトコンタクトレンズ(1972年)、半導体用マスクサブストレート(1974年)への参入を実行し、多角化を推進した。各事業で高シェアを追求した結果、1987年時点で眼鏡レンズ36%、クリスタル食器65%、光学レンズ60%、マスクブランクス世界75%という、複数のニッチ市場でトップシェアを握る事業構成が形成された。
この事業構成は、巨大市場で競争するのではなく、技術的参入障壁の高い小規模市場で支配的地位を握る集合体としてHOYAの高収益体質を規定した。1990年3月期には営業利益率12.5%を達成し、日本の製造業としては異例の水準に到達した。鈴木が1970年に掲げたシェア目標が約17年を経て結実した形であり、経営思想の一貫した適用が利益率の設計につながった事例であった。