重要な意思決定
200912月

フォルクスワーゲンと包括提携を締結(失敗)

背景

GM破綻後の提携先模索とフォルクスワーゲンとの接近

2008年のGM経営破綻は、1981年から約27年にわたって続いたスズキとGMの提携関係を終結させた。GMの北米販売網を活用した海外展開と、燃料電池をはじめとする先端技術の共有という協業の果実は一挙に失われ、スズキは独力でグローバル戦略を再構築する必要に迫られた。世界的に環境規制が強化される中、ディーゼル技術やハイブリッド技術の自社開発にはスズキの規模では限界があり、新たな技術提携先の確保が経営上の喫緊の課題となっていた。

折しもフォルクスワーゲン(VW)は世界販売台数の首位を目指し、各国の自動車メーカーをグループに取り込むM&A戦略を推進していた。ポルシェの経営統合やアウディ、ランボルギーニの傘下取り込みを経て、次の焦点をアジアの新興国市場に据えていた。スズキがインドで40年近くかけて構築した現地生産体制と市場シェアは、VWが自力では短期間に確保できない戦略資産であり、VWからスズキへの接近が始まった。

2009年12月にスズキとVWは包括提携を締結した。VWがスズキ株式の19.9%を約2200億円で取得し、スズキもVW株式の一部を取得する株式持ち合いの形態をとった。スズキはVWのディーゼルエンジン技術の供与を期待し、VWはスズキを通じたインド市場への参入を見込んだ。鈴木修氏は提携にあたりスズキの「独立性」の維持をVWに対して明確に要請し、子会社化ではなく対等な協業関係を提携の前提条件として掲げた。

決断

提携破綻と国際仲裁裁判所への申し立てという決断

提携直後からVWの行動はスズキの想定と乖離し始めた。VWはスズキ株式の追加取得を示唆し、スズキを自社グループに取り込む意向をにじませた。鈴木修氏が提携の前提として求めた「独立性」が脅かされる事態であった。一方、スズキが期待したディーゼルエンジン技術の移転は進まず、VWは技術供与に消極的な姿勢を取り続けた。「技術を得る代わりに資本を受け入れる」という提携の根本的な交換条件が、VW側によって反故にされる構図であった。

スズキがフィアットからディーゼルエンジンを調達したことを契機に、VWは「契約違反」として異議を唱えた。VWの主張はスズキが第三者から技術を調達する自由を制限するものであり、スズキの経営判断に対するVWの介入はさらに深まった。2011年9月にスズキは鈴木修氏の判断のもとVWに提携解消を正式に通達したが、VWはM&A戦略の観点からスズキとの資本関係の維持を主張し、解消を拒絶した。

交渉による決着が不可能と判断したスズキは、国際仲裁裁判所への申し立てに踏み切った。自動車メーカー同士の資本提携をめぐる紛争が国際仲裁の場に持ち込まれること自体が業界では異例であり、スズキにとって法的手続きに伴う費用と時間の負担は経営を圧迫するものであった。しかしVWの傘下に入るか法的手段で独立を守るかの選択を迫られた鈴木修氏は迷わず後者を選び、以後約4年にわたる法的紛争の長期戦に臨んだ。

結果

4602億円を投じた株式買い戻しによる独立性の回復

2015年に国際仲裁裁判所は「包括提携契約の解除」を認める裁定を下し、スズキの主張をおおむね認めた。VWが保有するスズキ株式19.9%の返還が法的に認められ、提携の締結から約6年にわたった紛争にようやく決着がついた。鈴木修氏は裁定後の記者会見で「のどに小骨が刺さったような状態がようやく解消された」と語り、VWとの関係については「再婚はない」「世界にはいろんな異質な企業がある」と振り返った。

裁定を受けてスズキはVW保有の自社株式を4602億円で買い戻し、資本面での完全な独立を回復した。あわせてスズキが保有するVW株式も市場で売却し、366億円の売却益を計上した。4602億円はスズキの年間営業利益の数倍に相当する巨額の資金負担であったが、VWの経営支配に入るリスクを排除するための代償として鈴木修氏はこの支出を許容した。独立性の維持という無形の価値に、明確な金銭的対価が支払われた。

GM破綻を契機に始まった新たな提携先の模索は、VWとの約6年間にわたる紛争を経て終結した。この経験は「対等な提携」という理念が相手方の戦略次第で容易に覆される現実を浮き彫りにし、鈴木修氏のアライアンスに対する姿勢を決定的に変えた。後にスズキがトヨタとの資本提携(2019年)に臨んだ際、出資比率を相互に低く抑えた慎重な設計がなされた背景には、VWとの苦い経験が直接的に影響している。