重要な意思決定
19795月

軽自動車「アルト」を発売

背景

排ガス規制後の経営立て直しと「2台目需要」への着目

1970年代の日本では1966年発売のカローラを契機に一家に一台の乗用車が普及しつつあったが、家庭内で2台目を保有するのは経済的に困難であった。しかし所得水準の上昇に伴い、通勤に車を使う夫とは別に主婦や農作業従事者が日常の足として自動車を求め始め、安価な軽自動車への潜在需要が形成されつつあった。この「2台目市場」は本格的な乗用車ではなく最低限の移動手段としての軽自動車を求めるものであり、軽自動車メーカーにとって新たな成長機会であった。

一方、1970年代半ばに実施された排ガス規制の強化は国内の軽自動車販売に打撃を与え、スズキの業績も低迷していた。1978年6月に鈴木修氏が社長に就任した時点では、軽自動車事業の立て直しが経営上の最優先課題であった。鈴木修氏は軽自動車の価格を大幅に引き下げることで「2台目需要」という新市場を開拓する方針を固め、灰皿をはじめとする不要な装備の見直しと原価構造の再設計を開発チームに指示した。

決断

装備を削ぎ落とした47万円の軽自動車「アルト」の投入

1979年5月にスズキは軽自動車「アルト」を47万円で発売した。灰皿やリアワイパーなど移動に不要な装備を徹底的に削ぎ落とすことで、当時の軽自動車の相場より10万円以上安い価格を実現した。主な想定顧客は主婦や農家であり、「日常の足としての最低限の移動手段」という割り切ったコンセプトが支持を集めた。高機能化を志向する他社の軽自動車と一線を画すこの設計思想は、アルトを単なる低価格車ではなく「2台目需要」を体現する商品として位置づけた。

アルトは発売直後から販売好調を維持し、1985年には国内累計販売100万台を突破した。この商業的な実績がスズキの経営基盤を強化し、1981年のGMとの提携や1982年のインド進出といったグローバル展開の原資と信用をもたらした。安価な小型車を大量生産するという能力は、後にインドの国民車「マルチ800」へと直結する技術的な蓄積であり、アルトはスズキの事業構造を国内軽自動車メーカーからグローバル小型車メーカーへと転換させる起点となった。