重要な意思決定
森下仁丹を提訴。和解へ
背景
関東大震災後に冷え切ったオリンパスと森下仁丹の関係
1923年にオリンパスが体温計事業の「計器部」をテルモに譲渡した経緯から、テルモの大株主であった森下仁丹はオリンパスにも出資する関係にあった。しかし同年に発生した関東大震災によってオリンパスが経営危機に陥った際、森下仁丹は財務支援を拒絶し、オリンパスの倒産を許容する立場をとった。この対応により、オリンパスは存続の危機に直面し、両社の関係は決裂に近い状態に至った。
その後、1928年に森下仁丹は突如として、1923年の計器部譲渡に際してテルモに継承されるべき資産が未譲渡であると主張し始めた。オリンパスに対する債権者であることを掲げ、追加の資産譲渡に加えて顕微鏡事業からの撤退を要請した。震災時の支援拒絶から5年を経ての要求であり、オリンパスとしては合理性を欠く主張として受け止めた。
決断
東京地裁への提訴と一年を経た和解による顕微鏡事業の存続
森下仁丹の要求に対し、オリンパスは不服を申し立て、1928年に東京地方裁判所への提訴を決定した。創業者の山下長氏は大阪に赴いて森下仁丹側と直接交渉し、書簡を通じた反省の促進も試みたが、交渉は不調に終わった。やむなく司法の場での解決を選択し、本社工場と顕微鏡事業の存続をかけた法的手続きに踏み切った。
提訴から1年が経過した1929年に、オリンパスと森下仁丹の間で和解が成立した。森下仁丹がオリンパスに対する一切の債権を放棄し、オリンパスは使用中の工場および工場敷地、機械器具、事務所建物の全てを確保した。これにより工場の完全譲渡は回避され、幡ヶ谷における工場敷地の境界も確定した。オリンパスは顕微鏡事業の継続基盤を維持し、その後の事業展開へとつなげた。