重要な意思決定
19231月

財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡

背景

体温計と顕微鏡の二事業同時運営がもたらした資金難

創業時からオリンパスは顕微鏡のほかに体温計の製造にも従事していたが、体温計は消費者向けの製品であり広告宣伝費が嵩む構造にあった。加えて、森下仁丹が体温計製造を目的に設立されたテルモ(当時の商号は赤線検温器株式会社)に出資し、体温計市場における販売競争の激化が見込まれた。一方、顕微鏡においてもレンズの研究開発に多額の投資が必要であり、会社設立から3年間で開発費は合計30万円に達した。この金額は設立時の資本金と同額であり、コストが先行する事業構造が財務を圧迫していた。

体温計と顕微鏡という二つの事業を同時に遂行するための資金的余裕がなくなり、オリンパスは事業の取捨選択を迫られる状況に追い込まれた。いずれの事業も収益化までに時間を要する段階にあり、限られた資本のもとで両立させることは現実的でなくなっていた。

決断

テルモへの体温計事業売却と本社工場の分割譲渡

1923年にオリンパスはテルモに対して、体温計事業およびその事業拠点である渋谷区幡ヶ谷の本社工場の一部を売却し、体温計事業から撤退した。売却にあたり負債を同時に譲渡したことで、オリンパスの財務状況は改善された。この決定により、オリンパスは顕微鏡の一事業に経営資源を集中させる体制へ移行した。

ただし、体温計事業の売却に際しては経営上の混乱が発生した。オリンパスの川上社長が辞任して社長不在の状態となったほか、監査役が事業譲渡の決議について無効化を求める訴訟を提起するなど、社内の係争が表面化した。創業からわずか数年で、オリンパスは事業再編と経営体制の動揺を同時に経験することとなった。

結果

幡ヶ谷工場のオリンパス・テルモ並存と敷地境界問題

体温計事業の売却に伴い、オリンパスが1919年に建設した幡ヶ谷工場は分割された。旧計器部の敷地と設備はテルモの本社工場として活用され、旧光学部は引き続きオリンパスの拠点として運用された。こうして、オリンパスとテルモの本社工場が幡ヶ谷の同一地区内に隣接する形が生まれた。

この工場分割は、のちに資産の帰属をめぐる紛争の火種となった。工場敷地の境界決定や設備の所有権について、オリンパスとテルモの大株主である森下仁丹との間で見解の相違が生じ、1928年に訴訟に発展した。この訴訟は翌1929年に和解で決着したが、創業期に行った事業売却の処理が、長期にわたって経営上の負担として残ることとなった。