ハローキティを企画
スヌーピーのライセンス取得から独自キャラクター創出へ
サンリオはキャラクター商品を充実させるにあたり、子供を対象とした大規模な購買調査を実施した。調査の結果、子供に人気のある動物は犬と猫であり、「白くて耳の垂れた犬」にニーズがあるとの仮説が立てられた。偶然にもこのタイミングで米国企業がスヌーピー(PEANUTS)のライセンス付与による日本国内での販売を計画しており、サンリオはそのライセンスの取得を決定した。
当時の日本国内ではスヌーピーの認知度が低く、サンリオ以外の企業はライセンスに関心を示さなかったとされる。スヌーピーの商品は子供の支持を得てヒットを記録したが、サンリオの独占ライセンスではなく一部商品に限られた利用権であったため、国内収益をサンリオが独占する形にはならなかった。このため辻信太郎氏は他社ライセンスに依存しない独自キャラクターの創出を模索するようになった。
制作室の20代女性社員がハローキティとパティ&ジミーを考案
自社キャラクターのデザインを担ったのは、サンリオ制作室に勤務する20代の女性社員たちであった。毎日のように犬や猫、熊といった動物のキャラクターを描く中で、鈴木ひろ子氏が「パティ&ジミー」を考案し、楠侑子氏(武蔵野美術大卒・当時20歳前後)が「ハローキティ」を考案した。1975年にはマイメロディも考案され、サンリオの制作室から複数の自社キャラクターが誕生することになった。
辻信太郎氏はこれらのキャラクターに対して懐疑的な姿勢をとっていた。パティ&ジミーについては「こんなものはダメだ」という第一印象を持ち、ハローキティについても「愛嬌もない」「単純な線で描かれた」「動きに乏しい」と評して、ヒット商品になるとは考えなかった。しかし実験的にキャラクターを付した小物を店頭に置いたところ、子供の心を捉えて想定を超える売れ行きを記録した。
属人的なデザインから組織的なキャラクター運営への移行
辻信太郎氏の予測に反して、パティ&ジミーとハローキティは子供からの支持を獲得してサンリオの主力キャラクターに成長した。自社キャラクターの展開によって他社ライセンスへの依存度を引き下げることが可能となり、サンリオはキャラクターの企画会社としての事業基盤を確立した。ハローキティの展開開始から3年目にあたる1977年7月期には、売上高195億円・経常利益40億円を計上するまでに成長した。
ハローキティを生み出した楠侑子氏(清水侑子氏)や、パティ&ジミーを生み出した鈴木ひろ子氏は、いずれも結婚を機にサンリオを退職した。キャラクターの運営はその後、後継の社員デザイナーに委ねられることとなった。創作者が退職した後もキャラクターの商品展開は継続され、属人的なデザインから組織的なキャラクター運営への移行が進んでいった。