重要な意思決定
19846月

北海道工場を新設(Rカー量産)

背景

GMとの協業で年産20万台の乗用車計画を策定

1981年、いすゞはGMと協同で乗用車「Rカー」の開発計画を策定した。いすゞが700億円を投資して北海道に新工場を建設し、年間20万台を生産する構想であった。うち10万台を国内向け、残り10万台を北米輸出とし、米国ではGMシボレーの販路を通じて販売する計画であった。 当時すでに日米貿易摩擦によって自動車の対米輸出台数は制限されていたが、規制は3ヵ年の時限措置と想定されていた。いすゞとしては1984年までに規制が緩和されると判断し、北米輸出を前提とした大規模投資に踏み切る方針を固めた。

決断

苫小牧に乗用車専用工場を新設

1984年6月、いすゞは北海道苫小牧市に乗用車専用の北海道工場を新設した。年産20万台の生産能力を備え、GM向けRカーの量産と北米輸出の拠点として位置づけられた。 700億円の投資額はいすゞにとって過大な規模であったが、世界最大手GMとの協業を背景に、乗用車事業の飛躍を賭けた決断であった。

結果

対米輸出規制の長期化で計画が頓挫

ところが、1980年代を通じて日米貿易摩擦は深刻化の一途をたどり、自動車の対米輸出制限(年間160万台)は時限措置にとどまらず長期化した。いすゞに付与された輸出割当台数はわずか1.6万台(全体の約1%)にすぎず、年産10万台の北米輸出という計画の前提が根底から崩れた。 北海道工場での乗用車量産は困難となり、進出先の苫小牧市からは「大きな失意」が表明された。いすゞが確保した広大な工場用地は活用の目処が立たず、GM依存の成長戦略が外部環境の変化によって瓦解する結果となった。