味の素の販売開始
うま味成分の発見と工業化の担い手が不在という状況
1909年5月にうま味調味料「味の素」が販売を開始した。その技術的起点は1908年、東京帝国大学教授の池田菊苗による研究にあった。池田は昆布のだしに着目し、甘味・酸味・塩味・苦味とは異なる第五の味覚が存在すると仮定した上で、その主成分がグルタミン酸塩であることを突き止めた。同年、「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」として特許を出願した。
しかし池田自身は研究者であり、製造や販売を担う立場にはなかった。工業化の引き受け手を求めて当時の大企業や財界に打診したが、製造リスクと市場の不確実性を理由に引き受ける者は現れなかった。調味料としての需要が存在するかどうかは未知であり、製造法も確立されていなかったためである。
一方、葉山でヨード製薬事業を営んでいた二代目鈴木三郎助は、池田が昆布の研究を行っていることを知り、東京帝国大学の実験室を訪問していた。池田は財界への働きかけが難航していたことから、鈴木三郎助にグルタミン酸塩調味料の工業化を依頼するに至った。
リスク分散と段階的市場確認を前提とした事業設計
鈴木三郎助は、グルタミン酸塩調味料の事業化には製造・販売の両面で大きな不確実性が伴うと判断した。製造面では大規模設備が必要であり、製造法自体が未確立であった。販売面でも、調味料としての市場需要は未知であり、全国的な販売網の構築は容易ではなかった。
そこで鈴木は、調味料事業を既存の鈴木製薬所とは切り離し、別事業として進めることでリスクを分散した。池田に対しては特許収益の一部を還元する契約を提案し、特許料収入の10%を支払う条件で合意した。販売面では料亭での試用を通じて評判を確かめるなど、段階的な市場確認を行った。
1908年には神奈川県逗子に工場を新設し、グルタミン酸塩調味料の製造を開始した。商品名は「味精」も検討されたが、市場での受容を考慮し「味の素」とされた。事業規模に対して多額の投下資本を要する判断であり、ヨード製薬事業の収益がその一部を支えた。
販路喪失と環境問題に直面し事業継続の前提を再構築
1909年2月に出荷が開始され、日本醤油醸造株式会社への販売が行われた。しかし同社はサッカリン使用問題により1910年に破綻し、販売先の自力開拓が必要となった。調味料市場がまだ形成されていない段階で主要販売先を失ったことは、事業初期における大きな課題であった。
製造面では原料の小麦粉グルテンと塩酸を用いた加水分解法が採用されたが、製造過程で発生する塩酸ガスや廃液が周辺農家からの苦情を引き起こした。逗子工場は住宅地や農地に近接しており、生産量の増加に伴い環境問題が深刻化した。
これにより逗子工場での操業継続は困難となり、1914年に川崎工場を新設して生産拠点を移転した。味の素事業は創業初期から技術・販売・環境対応という三つの課題を同時に抱えながら展開された。事業化を引き受ける者がいなかった発明が中小規模の事業主体によって商業化された点に、味の素誕生の構造的特徴があった。