X線テレビ開発での独立創業
松下通信工業でのX線テレビ開発経験
1950年代後半、日本の製造業は高度経済成長の入り口に立っていた。工場の生産ラインでは品質管理の自動化が課題となり、X線や工業用テレビジョン(ITV)を用いた非破壊検査の需要が生まれつつあった。内山康は1931年に広島県広島市で生まれ、広島工業専門学校(現・広島大学工学部)を卒業後、肺結核を患い国立広島療養所で約5年間の闘病生活を送った。療養後、松下通信工業に臨時雇いで入社し、無線部でX線テレビの開発に従事していた。
松下通信工業での経験を通じて、内山はX線テレビジョンカメラの技術と、それを必要とする製造現場のニーズの両方を把握していた。しかし大企業の組織の中では、自らのアイデアを迅速に製品化することに限界を感じていた。内山は後に、大企業では開発に2年かかる案件でも中堅企業なら半年で仕上げにかかれると語っており(出所:技術と経済 1981年5月号)、設計と現場が近い少人数の組織であれば顧客ニーズに即応した製品開発が可能であるという確信が、独立への動機となった。
29歳での独立、ITV研究所の設立
1960年7月、内山康は29歳で松下通信工業を離れ、東京都目黒区に「有限会社東京ITV研究所」を設立した。ITVは工業用テレビジョンの略で、X線テレビジョンカメラの開発・製造を主たる事業とした。創業時の資本は限られており、製造設備を自前で持つ余裕はなかった。そのため、工場を持たず研究開発に経営資源を集中する体制を最初から選択した。製品の製造は協力会社に委託し、自社は設計と光学系の調整などコアとなる工程に注力する分業体制であった。
1962年8月には資本金100万円で「日本自動制御株式会社」を設立し、事業を法人化した。X線テレビジョンカメラおよび工業用テレビジョンカメラの開発・設計・製造・販売を主業務とし、大手メーカーからの受注を含む形で事業基盤を築いた。創業当初は下請け的な仕事も含まれていたが、内山は自社ブランド製品の比率を高めることを意識していた。工場を持たないファブライト経営は、創業時の資金制約から生まれた消極的な選択に見えるが、結果として65年後の現在に至るまで同社の競争優位の源泉となる経営モデルの原型を形成した。