財務危機改善のため川村隆氏が社長就任
リーマンショックで7880億円の赤字を計上し自己資本比率が急落
2008年秋のリーマンショックによる世界的な需要低迷を受けて、日立製作所は2009年3月期に約7880億円の最終赤字を計上した。日本の製造業として過去最大の赤字額であり、連結ベースの自己資本比率は前年度の20.6%から11.2%へと急落した。巨額赤字の主因は繰延税金資産の取り崩し約3900億円であり、事業収益の悪化により将来の税金還付の見通しが立たなくなったことが背景にあった。
2009年2月には赤字決算に先立って7000名の人員削減を決定し、固定費の圧縮を急いだ。だが財務基盤の毀損は深刻であり、もう一度リーマンショック級の景気後退が発生すれば日立は倒産していたとされる。自己資本比率11.2%という水準は銀行からの借入継続にも支障をきたしかねず、経営の自由度を大きく制約していた。
日立製作所の指名委員会は経営危機を受けて社長の交代を決定した。指名されたのは川村隆氏であった。川村氏は1999年に日立製作所の取締役に就任したのち、2007年に子会社の日立マクセル会長に転じていた人物であり、本社の社長人事としては異例の出戻り抜擢であった。2009年4月に川村氏が代表執行役社長に就任し、財務再建に着手した。
3492億円の増資とHDD事業売却で財務基盤を再建
川村隆氏は就任直後から財務再建に着手した。2009年12月に第三者割当増資・公募増資・新株予約権付社債の発行を実行し、合計3492億円の資金を調達した。既存の発行済株式数に対して約13%の希薄化が生じたため、世界中の株主から批判を浴びた。だが自己資本比率の回復が経営再建の前提条件であり、既存株主の利益毀損を承知の上で増資を断行した。
続いて2012年にはIBMから約20億ドルで取得していたHDD製造事業をWestern Digitalへ約48億ドル(約3900億円)で売却した。売却益の計上とキャッシュの確保により自己資本比率は18.8%まで回復し、財務の安定化を実現した。増資と事業売却という二段階の施策により、2008年度から2012年度にかけて自己資本比率を11.2%から18.8%へと引き上げた。
財務再建と並行して川村体制は収益性が悪化した事業からの撤退を推進した。2011年にテレビの自社生産からの撤退を決定し、1956年の参入以来55年間にわたり続けてきたテレビ製造に終止符を打った。子会社の日立ディスプレイは産業革新機構主導のジャパンディスプレイに移管され、日立はディスプレイ製造から完全に撤退した。
総合電機から社会インフラ・IT中心の事業構造へ転換
テレビやディスプレイ事業の撤退により捻出した経営資源を、海外の鉄道車両や送配電など社会インフラ事業に集中させた。事業売却に対しては「汗水を垂らして育てた事業を簡単に売るのか」と先輩経営者から強い反発があったが、川村氏は構造改革の方針を堅持した。日立の事業構造は総合電機から社会インフラ・ITを中核とする方向へ転換する道筋がつけられた。
川村体制が実行した一連の施策は、日立製作所の経営における転換点となった。増資による財務基盤の回復、HDD事業売却による資金確保、テレビ事業からの撤退という三つの判断は、いずれも短期的な痛みを伴うものであったが、総合電機の看板を捨てて事業ポートフォリオを再構築する方向性を明確にした。
2011年4月に川村氏は取締役会長に就任し、後任に中西宏明氏が社長に就いた。川村体制の2年間で示された「選択と集中」の方針は、以後の上場子会社売却やGlobalLogic買収などの大型案件にも引き継がれた。7880億円の赤字から始まった構造改革は、日立を総合電機メーカーから社会イノベーション企業へと変貌させる起点となった。