重要な意思決定
日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始)
背景
高度経済成長期に非電機事業を子会社として分離する方針を選択
高度経済成長期を通じて日立製作所は、本業である電機に該当しない事業領域を子会社として分離する方針を採った。1956年に日立金属(旧鉄鋼事業部)と日立電線(旧電線事業部)を設立し、1961年には日立化成、1964年には日立建機、1967年には日立物流をそれぞれ子会社として設立した。非電機事業を本体から切り出しつつも、株式の50%超を保有して経営の主導権を維持する構造を選んだ。
各子会社は業績が安定した段階で株式上場を実施した。1961年に日立電線・日立金属、1970年に日立化成、1981年に日立建機をそれぞれ上場させ、いずれも日立製作所が過半数の株式を保有する「上場子会社」として運営した。事業売却ではなく上場という形をとることで、資本市場からの資金調達と人材確保を可能にしつつ、親会社による支配権を維持した。
決断
事業売却ではなく「親子上場」で支配権を維持した構造の設計
非電機事業を子会社化して上場させるという手法は、事業の独立性を与えつつ親会社が支配権を維持する日本企業特有の構造であった。子会社の経営を独立させることで事業判断の機動性を高め、上場により外部資本を調達しながらも、親会社が過半数株主として経営方針への関与を維持した。この構造は日立グループの拡大期において有効に機能した。
しかし2010年代に入ると、親子上場の構造が少数株主の利益を毀損しうる非効率な資本構成として批判を受けるようになった。川村改革以降、日立製作所は上場子会社の株式売却を推進し、日立電線・日立金属・日立化成・日立建機・日立物流の各社について順次保有株式を売却した。1956年の設立から売却完了まで60年以上を要した構造は、日立における意思決定の長期性を示している。