重要な意思決定
1953

GEと技術提携を締結・外国技術を導入

背景

1950年代に外国企業との技術提携を3年連続で締結

1950年代を通じて日立製作所は外国企業との技術提携を積極化した。1952年にRCAとブラウン管技術の特許実施権を獲得してテレビ市場への参入を図り、1953年にはGEと蒸気タービンの特許実施権を得て発電機分野で東芝に追随する体制を整えた。さらに1954年にはWE(Western Electric)とトランジスタの特許実施権を締結し、半導体製造への参入を企図した。

これらの技術提携は、創業者の小平浪平氏が掲げてきた「国産技術主義」の事実上の撤回を意味した。創業以来40年以上にわたり、同業他社がGEやWEとの提携で事業を拡大する中で日立は自前の技術開発に固執してきた。しかし戦後の技術格差を前に、独自開発のみでテレビ・発電機・半導体という成長市場に参入することは困難と判断し、外国技術の導入に方針を転換した。

決断

テレビ・発電機・半導体の三分野を同時に押さえた参入設計

RCA・GE・WEという3社との連続的な技術提携は、個別の事業判断ではなく、戦後の総合電機メーカーとしての事業基盤を一括で設計する意図を持っていた。テレビは家電市場の急成長に対応し、蒸気タービンは電力インフラの復興需要を見据え、トランジスタは次世代の電子部品市場を先取りするものであった。3年間で民生・重電・半導体の三分野に同時に参入する布陣を整えた。

GEとの技術提携においては、すでに東芝がGEと提携関係にあり、日立は後追いの立場となった。だが日立としては蒸気タービンの自前開発に固執するよりも、GEの技術を導入して早期に製品化する方が事業機会の逸失を防げると判断した。1953年の提携締結は国産技術主義からの明確な離脱であり、戦後復興期における技術格差を認識した現実的な経営判断であった。