アサヒスーパードライを発売
寡占市場における同質化と劣位の固定
1980年代半ばの日本のビール市場は、免許制と寡占構造のもとで安定していた。主要メーカーの味は近似し、目隠し試飲では銘柄判別が困難な水準にまで収斂していた。この状況は、資本力と流通網を持つ高シェア企業が優位を維持しやすい構造を形成していた。
この構造下で朝日ビールは長期低迷に直面していた。1985年時点の国内シェアは9.6%にとどまり、家庭用市場では後発的立場にあった。東京都内での取扱率は47%に過ぎず、流通面でも制約を抱えていた。
既存路線の延長ではシェア低下に歯止めをかける見通しは立たず、市場構造そのものを変える非連続な選択が必要だという認識が、経営の前提となっていた。
消費者起点の味覚設計と集中投資
1987年3月、朝日ビールは「アサヒスーパードライ」を発売した。意思決定の核心は、味を競争軸として正面から再定義した点にあった。従来は技術者主導であった味の決定を見直し、約5,000人規模の消費者調査を実施。12種類の試作品から、消費者評価が最も高い「すっきり」「キレ」を特徴とする味が採用された。
この選択は既存顧客の離反リスクを伴っていたが、シェア9.6%という劣位は逆に守るべきポジションの小ささを意味していた。同質化した市場で非連続な転換を図るには、現状維持のコストの方が大きいという判断が優先された。
発売と同時に、広告宣伝と販促への集中投資が行われた。1987年の広告宣伝費・販促費は約570億円に達し、その原資の一部には1980年代後半の財務運用による金融収益が充てられた。短期の利益確保ではなく、ブランド浸透に資金を一気に投入する判断が採られた。
シェア急回復と競争構造の転換
スーパードライは発売直後から想定を大幅に上回る反応を得た。当初の年間計画100万箱に対し、実績は約1,350万箱に達し、初年度売上高は約860億円に拡大した。東京でのテスト販売段階から他地域の引き合いが殺到し、供給増強が急務となった。
広告と販促の集中投資は流通取扱率と消費者認知を急速に高めた。取扱率は47%から99.8%にまで拡大し、飲食店ではスーパードライへの指名が相次いだ。1989年にシェアは24.9%まで回復し、業界2位に浮上した。
競合も類似商品を投入したが、既存顧客を大量に抱える状態では主力ブランドの味を全面的に切り替えることは困難であった。顧客基盤の大きさが意思決定の自由度を制約するという逆説が、先行者であるアサヒの優位を構造的に保護した。スーパードライは、成熟市場でシェア構造を書き換えた稀有な事例である。