住友銀行が経営支援
キリン一強体制と朝日ビールの長期低迷
1970年代の日本のビール市場ではキリンビールが家庭用市場を軸にシェアを拡大し、一強体制を築いていた。戦前は三位であったキリンが主導権を握った背景には、大日本麦酒の分割によって朝日とサッポロの勢力が分散したこと、そして戦後の需要拡大が家庭消費中心に進んだことがあった。
朝日ビールとサッポロビールは、戦前からの延長で業務用市場を主戦場としていた。分割後も旧大日本麦酒系の二社が同一市場で競合した結果、成長著しい家庭用市場への対応が後手に回り、キリンとの差は拡大し続けた。
都市部では一定の存在感を保ったものの、地方市場での劣位は固定化し、シェアと収益性の双方で低迷が長期化していた。純利益率は0.6%にとどまり、ビール事業の収益構造は改善の見通しが立たない状況であった。
住友銀行主導によるトップ交代と経営再建
この状況を問題視したのが、朝日ビールのメインバンクである住友銀行であった。1976年には住友銀行出身の延命直松が社長に就任していたが、業績とシェアの回復には至らなかった。1982年、住友銀行は経営体制そのものの刷新を決断し、トップ交代に踏み切った。
1982年3月、住友銀行元副頭取であり、マツダで経営再建を経験した村井勉が代表取締役社長に就任した。村井は朝日の低迷を商品力や営業戦術ではなく、組織の意思決定と行動様式の問題として捉えた。
市場認識の修正が最初の論点となった。日本のビール消費は家庭用が約七割を占めるという現実が改めて整理され、朝日が強みを持つ業務用だけではシェア回復は不可能だと明確に位置づけられた。家庭で購買を決定する消費者にどう選ばれるかが、経営の中心課題として設定された。
組織再設計とスーパードライへの布石
村井体制下では、市場認識の転換と並行して組織運営にも手が入れられた。営業現場の行動量や目標設定が見直され、研修制度の整備を通じた人材育成が進められた。村井はマツダでの再建経験を踏まえ、「足腰を強くして歩いて稼ぐ」ことを組織の基本方針として掲げた。
これらの取り組みは即座に業績を反転させたわけではないが、市場と向き合う姿勢と組織の動き方を変える土台を形成した。商品力や広告ではなく、組織行動の質を変えることから再建を始めるという判断が、後年の戦略転換を受け止める条件を整えた。
1986年には住友銀行出身の樋口廣太郎が社長に就任し、村井が敷いた組織基盤の上にスーパードライという商品戦略が重ねられることになる。1982年の経営支援は、銀行主導の再建としてだけでなく、アサヒビールの競争姿勢そのものを書き換える起点として位置づけられる。