重要な意思決定
19625月

大森工場を新設

背景

首都圏での供給力不足と設備投資競争

1950年代後半、日本のビール市場は都市部を中心に需要が拡大し、首都圏と関西圏が最大の消費地となっていた。朝日麦酒は分割後の影響で生産・販売拠点が西日本に偏り、首都圏では供給力に制約を抱えていた。

一方、キリンビールは首都圏を軸に設備増強を進め、量と安定供給を背景にシェアを拡大していた。ビール事業では需要地に近接した工場配置が物流効率と販売力を左右するため、設備投資は単なる生産能力の問題ではなく、地域シェアを巡る競争そのものとなっていた。

決断

大森工場の新設と競合の対抗投資

1962年5月、朝日麦酒は東京・大森に新工場を建設した。首都圏市場に直結する立地を活かし、輸送距離の短縮と供給の即応性を高めることを目的とした前進配置の投資であった。

この動きに対し、サッポロビールは朝日麦酒の本拠地である関西に大阪工場を新設して対抗した。首都圏で朝日が前進配置を取る一方、サッポロは関西市場での供給力を強化し、相互に相手の重点市場を突く構図が形成された。設備投資は全国的な拠点配置競争へと発展していった。

結果

供給力強化の一方で量の競争の限界が顕在化

大森工場の稼働により朝日麦酒は首都圏での供給制約を一定程度解消し、販売機会の損失を抑えることが可能となった。しかし各社が相互に設備投資を重ねた結果、供給能力は需要成長を上回るペースで拡大した。

この時期の拠点投資競争は、ビール市場における供給過剰の構造をのちに生み出す伏線となった。朝日麦酒のシェアは1963年に業界3位に後退し、量の競争ではキリンとの差を埋められない現実が明確になっていった。