Sanyo manufacturing Corporationを設立(TVの北米現地生産)
カラーテレビの日米貿易摩擦が深刻化し輸出主体の事業が限界に
1968年以降、三洋電機をはじめ松下電器・東芝・ソニーなど日本の家電各社がカラーテレビの北米輸出で競い合い、日米間の貿易摩擦が深刻化した。ダンピング問題に発展したことで三洋電機はカラーテレビの30%減産を余儀なくされ、日本国内で生産して北米に輸出するというビジネスモデルは限界に達しつつあった。輸出依存体質からの脱却が三洋電機にとって喫緊の経営課題となった。
1974年ごろから三洋電機の井植薫社長は北米での現地生産の検討を開始した。同時期に大口顧客である米国大手小売業シアーズから、ワールプール社との合弁子会社ウォーイック社の経営再建の打診があった。ウォーイック社はカラーテレビの生産性悪化により赤字が続いており、最盛期に2500名を数えた従業員は買収前の時点で400名にまで減少していた。
大口顧客シアーズとの取引継続のためウォーイック社の買収を決定
三洋電機にとってシアーズは北米向けテレビの大部分を納入する最大の取引先であり、ウォーイック社の再建依頼を簡単に拒絶することは取引関係の断絶を意味した。当初は技術支援の形での協力を想定していたが、井植薫社長から全権を委ねられた井植敏専務による交渉の過程で、資産買取方式による本格的な買収へと方針が転換されていった。
1976年9月にサンヨー・マニュファクチャリング・コーポレーション(SMC)を現地法人として設立し、同年12月にSMCを通じてウォーイック社を取得価格1032万ドル(31.7億円)で買収した。買収後の出資比率は三洋電機が57%、シアーズが25%で構成され、ワールプールは撤退したがシアーズは引き続き合弁会社に出資する形をとった。
年産96万台の体制を構築し北米現地生産で日本企業トップの地位を確保
1977年1月からアーカンソー州の工場でカラーテレビの現地生産を開始した。生産したテレビは主にシアーズブランドとしてOEM供給され、一部は三洋電機の自社ブランドでも販売された。1980年時点で月産8万台・年産96万台の体制を構築し、松下電器の年産70〜80万台やソニーの年産50〜60万台を上回って日本企業の中で北米現地生産トップに立った。
経営面でも1980年までにSMCは黒字を確保し、ウォーイック社の経営再建を実現した。従業員数は買収時の400名から1800名に増加し、1977年10月にはアーカンソー州知事がSMCを表彰するなど現地の雇用拡大にも貢献した。1980年代にシアーズが撤退の意向を示した際は、州知事が新たな取引先としてウォルマートを三洋電機に紹介するなど、州政府による経営面での全面的な支援も受けた。