重要な意思決定
19655月

カラーテレビへの量産投資

背景

三種の神器の需要一巡と証券不況により売上成長が停滞

三種の神器と称された白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の需要が一巡し、1965年の証券不況も重なって三洋電機の売上成長は停滞した。家電市場の成熟に伴い、三洋電機は次なる成長商品の開発に迫られていた。カラーテレビは1960年代後半の本格普及が見込まれる製品であり、三洋電機は北米市場への輸出を軸にカラーテレビへの集中投資を決定した。

半期売上高は1965年11月期の354億円から1969年11月期には1126億円へと4年間で約3倍に拡大し、カラーテレビの北米輸出が三洋電機の業績を牽引した。1970年にはカラーテレビの量産工場として岐阜工場を新設し、稼働時で月産2万台の生産体制を構築して北米向け輸出の専用拠点として位置づけた。

決断

カラーテレビの北米輸出に注力するも貿易摩擦で30%減産を決定

三洋電機だけでなく松下電器・東芝・ソニー・日立・シャープの各社もカラーテレビの北米輸出で競い合い、1970年代を通じて日米間の貿易摩擦が深刻化した。日本製カラーテレビのダンピング問題に発展したことで、三洋電機はカラーテレビの30%減産を余儀なくされた。

日本国内で生産して北米に輸出するビジネスモデルの限界が明確となり、北米市場での事業継続には現地生産への転換が不可避であることが示された。この貿易摩擦の経験は、三洋電機が1976年に米ウォーイック社を買収し北米での現地生産に踏み切る直接の契機となった。