重要な意思決定
19538月

噴流式洗濯機の製造を開始

背景

家電市場への本格参入をめざし主婦の労働軽減に着目

自転車ランプとラジオで事業基盤を築いた三洋電機は、次なる製品として洗濯機への参入を決定した。当時の日本では手洗いが一般的であり、創業者の井植歳男は主婦の労働時間を短縮できる洗濯機への需要が急速に高まると判断した。1952年から国内外の洗濯機を分解して調査に着手し、1950年に新設した滋賀工場を開発拠点に定めた。

約1年の開発期間と数千万円の開発費を投じて、1953年1月に丸型の攪拌式洗濯機の試作に成功した。ところが開発の過程で、英国フーバー社が開発した角型の噴流式洗濯機の方が、日本の狭い居住空間に設置しやすく、渦巻状の水流で汚れを落とす仕組みも日本の洗濯環境に適していることが明らかになった。

決断

特許リスクを恐れず攪拌式から噴流式への方針転換を断行

国内の競合メーカーがフーバー社の特許に抵触することを恐れて噴流式に手を出さない中、三洋電機の技術者は噴流式の技術が公知であり国内では特許が成立しないと判断した。井植歳男はこの技術的見解を根拠に、すでに数千万円を投じた丸型攪拌式の開発を中止し、角型噴流式への全面的な方針転換を決断した。

1953年6月に国内初の噴流式洗濯機を完成させ、同年8月から販売を開始した。製品価格は競合の攪拌式洗濯機の約半額にあたる2万8000円に設定し、低価格による市場浸透を意図した。滋賀工場での量産体制を急速に立ち上げ、1953年7月の月産約30台から同年12月に月産約2000台、翌1954年8月には月産約1万台へと生産規模を引き上げた。

結果

噴流式で国内シェア1位を確保し日本の洗濯機の標準仕様を確立

三洋電機の噴流式洗濯機は低価格と使い勝手の良さから急速に普及し、1961年には洗濯機の国内生産量シェアで1位を確保した。ただし松下電器をはじめとする各社も噴流式に追随して参入したため、三洋電機のシェアは約20%にとどまり、激しい販売競争に巻き込まれた。

三洋電機が噴流式を投入したことで、攪拌式洗濯機は市場からほぼ姿を消し、日本における洗濯機の標準仕様は噴流式に定まった。後発メーカーでありながら、特許リスクの判断と量産投資の速度で市場の規格を事実上決定づけた出来事は、三洋電機の家電メーカーとしての地位を確立する転機となった。