重要な意思決定
ラジオの生産開始(国内初のプラスチックラジオ)
背景
自転車ランプに次ぐ事業として成長市場のラジオに着目
自転車用発電ランプで国内シェア約70%を確保した三洋電機は、事業多角化の一環として1951年にラジオの生産を開始した。ラジオの量産に備えて1950年に住道工場を新設し、旧松下飛行機の跡地を生産拠点として整備した。当時の国内ラジオ市場は中小規模のメーカーが乱立する競争環境にあり、後発の三洋電機には技術面で既存メーカーを上回る明確な差別化要因がなかった。
三洋電機は発電ランプの製造で培った大量生産のノウハウをラジオにも適用し、スケールメリットによるコスト引き下げを基本方針とした。しかし価格面での優位だけでは中小メーカーとの消耗戦に陥る懸念があり、製品の外装や素材の面で他社との差別化を打ち出す必要に迫られていた。
決断
プラスチック素材の採用と技術提携でラジオ事業の差別化を追求
三洋電機は樹脂メーカーの積水化学と協業し、当時普及しつつあったプラスチック素材を用いたキャビネットを開発した。木製キャビネットが主流であった市場に対して、量産適性と外観の両面で差別化を図り、1952年に国内初のプラスチックラジオ「52型」を発売した。樹脂素材の採用は製造コストの抑制にも寄与し、ラジオは1953年ごろに自転車ランプに次ぐ主力事業に成長した。
さらに1957年に米ウェスタンエレクトリック社との技術提携を締結し、ソニーが先行していたトランジスタラジオの市場に後発参入を果たした。ソニーが独自ブランドで北米市場を開拓したのに対して、三洋電機は米国向けOEMによるトランジスタラジオの輸出拡大を選択した。自社技術ではなく外部提携を梃子に新分野へ参入する手法は、後の三洋電機の事業展開に共通するパターンとなった。