重要な意思決定
201110月

Schincariol社を買収

背景

成長市場としてのブラジルと楽観的な前提

2010年前後、キリンHDは国内ビール市場の成熟を背景に、海外事業の拡大を中長期成長戦略の中核に位置付けていた。人口増加と所得上昇が見込まれるブラジルは、ビール消費量が日本の約2倍、年率10%前後の成長が期待される市場であり、規模と成長性の両面で有力な進出先と評価された。

ブラジル第2位のビールメーカーであるスキンカリオール・グループは、全国に広がる販売網、13か所の製造拠点、複数のビール・飲料ブランドを有しており、プラットフォーム型の事業基盤を備えていた。キリンは自社の技術力と商品開発力を投入することで、同社の成長を加速できると判断した。

しかし、この判断にはいくつかの前提が置かれていた。創業家の株式保有構造が安定しているという想定、ブラジル市場が中長期に成長軌道を維持するというマクロ前提、そして巨額ののれんが将来キャッシュフローで回収可能という見立てである。いずれも買収時点で否定されていなかったが、不確実性を内包していた。

決断

約3,000億円の巨額買収と直後の統合混乱

2011年10月、キリンHDはスキンカリオール・グループの株式を保有する持株会社を通じて同社を実質100%取得した。取得総額は約3,043億円に達し、手元資金と外部借入を併用する財務レバレッジの上昇を伴う決断であった。

しかし買収直後から統合は想定通りに進まなかった。スキンカリオールの株式は創業家の異なる系統が保有しており、キリンが取得したのは一方の持分であった。もう一方の株主は事前協議なしの株式譲渡を理由に訴訟を提起し、キリンは経営権の行使を巡って現地裁判に巻き込まれた。

法的不確実性の下で迅速な意思決定は困難となり、加えてブラジル市場では競争激化、価格競争の加速、レアル安の進行が重なった。買収時に想定されたシナジーは十分に顕在化せず、事業運営は当初計画と大きく乖離していった。

結果

巨額減損と海外M&A戦略の再定義

2015年12月、キリンHDはブラジル子会社に関して約1,400億円規模の減損損失を計上した。単体では関係会社株式評価損として約2,700億円が認識され、買収時の成長前提と実際の収益力との乖離が会計上確定した。

この減損は単なる外部環境の悪化ではなく、意思決定構造の問題を浮き彫りにした。支配権の確実性、ガバナンス体制、統合後の実行力に対する検証が不十分なまま、規模と成長性を優先した判断が行われた点は否定できない。巨額の資本が低いリターンにとどまり、資本効率を大きく毀損する結果となった。

ブラジル買収は、成長市場への参入が必ずしも企業価値向上に直結しないことを示した事例となった。その後キリンは海外事業の選別と集中を進め、事業ごとの資本効率を重視する方針へと転換していく。2011年の決断と2015年の減損は、グローバル戦略におけるリスク評価とガバナンスの重要性を示す転換点であった。