重要な意思決定
1982

抗体医薬に新規参入

背景

ビール事業の成長制約と技術転用の可能性

1980年代初頭、キリンは国内ビール市場で高いシェアを維持していたが、量的成長の余地は限られていた。独占禁止法の影響に加え、市場の成熟により設備投資や販促の差が収益を左右する局面に入っていた。単一事業への依存が続くほど、環境変化の影響を受けやすい構造に課題があった。

一方で、キリンはビール製造を通じて発酵・培養・分析・精製の技術を蓄積していた。これらの技術はバイオ医薬品の製造プロセスと親和性が高く、別用途への転用可能性が注目されていた。当時の医薬業界は化学合成を主流としており、微生物や細胞培養を基盤とするバイオ医薬は傍流の領域であった。既存の医薬品メーカーにとって参入優先度が低い分野であることが、逆にキリンにとっての参入機会を開いていた。

決断

医薬開発研究所の設置とバイオ領域への参入

1982年から1983年にかけて、キリンはライフサイエンス領域への参入を決断し、医薬開発研究所を設置した。ビールの製造工程で培った発酵・培養技術を、医薬品の探索や製法検討へ応用する方針であった。

ただし、医薬品は規制、臨床試験、知的財産が複雑に絡む分野であり、研究費だけでなく人材や提携先の確保が事業化の前提となった。キリンは自前主義に寄せ切らず、外部技術の導入や共同開発も視野に入れた。この柔軟な参入姿勢が、のちのアムジェンとの提携につながり、特許紛争を回避しながらEPO製剤の事業化に至る道を開いた。

結果

傍流への参入が事業ポートフォリオ転換の布石に

バイオ医薬への参入は、ビール事業の安定的なキャッシュフローを研究投資の原資として活用できたことが前提にあった。短期回収を求めずに長期の研究投資を継続できる財務的余力が、バイオ医薬という時間のかかる事業の育成を可能にした。

結果として、バイオ医薬品はビール事業とは異なる高付加価値の収益構造を持つ事業として育成され、キリングループの事業ポートフォリオに厚みを加えた。主流を避け、技術的適合性とキャッシュ創出力を活かした長期投資が競争優位につながった事例である。