重要な意思決定
19758月

昭和50年度構造計画を策定

背景

高シェア維持下での制度的制約と石油危機

1970年代半ば、キリンは国内ビール市場で過半に近いシェアを維持していたが、その高シェアの持続自体が経営上の論点となっていた。独占禁止法の運用や公正取引を巡る議論が続く中、特定企業による市場支配の長期化は制度的な視線を集めていた。

加えて1973年の石油危機は、高度経済成長を前提とした事業運営の見直しを迫った。原材料費や輸送コストの上昇は利益率を圧迫し、需要成長の鈍化と相まって、量的拡大のみに依存する経営には限界が見え始めていた。ビール事業が収益の中核である構造を維持しながらも、単一事業への依存度を管理する視点が求められた。

決断

構造計画に基づく安定成長路線への転換

1975年8月、キリンは「昭和50年度構造計画」を策定し、「安定成長への布石」と副題をつけた中長期方針を全管理職に配布した。従来のビール部門の急成長に依存する路線から、安定成長路線への切替えを目指す内容であった。

具体的には、清涼飲料や食品分野への展開を進め、既存の流通網や販売チャネルを活用しながら非ビール事業の比重を段階的に高める方針が取られた。これらの分野は新規設備投資を抑えつつ拡張可能であり、資金面でも内部資金を中心に対応できる領域であった。構造計画はビール事業の数量を抑制するものではなく、事業全体の構成比を調整する枠組みとして位置づけられた。

結果

多角化の起点と将来の事業転換への伏線

構造計画を契機に、キリンは清涼飲料や食品事業への進出を本格化させた。キリンビバレッジを通じた飲料事業の拡大は、ビールと同じ流通網を活用できる点で合理的な選択であった。

ただし1970年代時点では、多角化は事業構成の分散という位置づけにとどまり、ビールに代わる収益の柱を生み出すには至らなかった。この構造計画で示された「単一事業依存からの脱却」という方向性は、1980年代の医薬品参入、さらにはのちの持株会社化を経た事業ポートフォリオ転換へと引き継がれていくことになる。