重要な意思決定
19806月

家庭用LDプレーヤー「VP-1000」を発表

背景

オーディオ不況の中でビデオディスクに社運を賭ける

1980年代前半、オーディオ業界は円高不況と市場の成熟化に直面していた。パイオニアは1981年に家庭用レーザーディスク(LD)プレーヤー「VP-1000」を発売したが、当初は普及が進まなかった。家庭普及率は数年にわたって5%を超えず、CDプレーヤーが5年で5%を超えたのとは対照的であった。VTRの急速な立ち上がりに比べてビデオディスクの普及には時間がかかり、市場の将来性は不透明であった。

しかし1986年頃からLDの市場が本格的に動き始めた。日立製作所が光学式の採用を決定し、パイオニアは1986年を「ビデオディスク元年」とみなして大攻勢に転じた。広告宣伝費58億円の55%を映像部門に集中投下し、LD兼用CDプレーヤー「CLD-100」を7万9800円で発売。「音楽を見る」という新しい商品コンセプトで音楽ファンの開拓を図った。CLD-100は月2万台以上を生産する大ヒットとなった。

決断

光ディスク技術の特許収入を軸にした高収益構造の構築

パイオニアのLD事業で特筆すべきは、ハードウェアの製造販売だけでなく、光ディスク技術に関する特許のライセンス収入が高い収益性をもたらした点にある。レーザーディスクの読み取りに用いる光ピックアップ技術はCDプレーヤーにも応用され、CD市場の急拡大に伴い特許使用料が流入した。パイオニアは自社でCDプレーヤーを製造販売すると同時に、光ディスク関連特許のライセンス供与により、製造コストを伴わない収益を確保する構造を築いた。

この結果、1986年9月期の売上高は2700億円弱、経常利益は90億円弱に達した。円高でオーディオメーカー各社が減益や営業赤字に追い込まれる中、パイオニアは異例の決算であった。LDは純粋な内需型商品であったため、輸出比率は1956年の60%超から1986年には44%まで低下し、円高不況への耐性を高めた。自己資本比率は80%前後の無借金経営を維持しており、松本社長は「フロックではない。この数年間で当社の経営体質が変わった」と語った。

結果

映像事業700億円規模への成長とLDシェア50%の独占

1989年時点で、パイオニアのLDプレーヤーの累計出荷台数は68万台に達し、国内シェアの約50%を占めた。ソニーが23%、松下が14%と続いたが、パイオニアの独占的地位は揺るがなかった。映像事業は700億円規模にまで成長し、カーオーディオと並ぶパイオニアの収益の柱となった。

ただし、LDは「趣味商品」としての性格が強く、VTRのような録画機能を持たないため、市場の天井は限定的であった。1989年時点でも家庭普及率は10%に届かず、大衆向け家電とは異なる高級趣味商品の領域にとどまっていた。光ディスク技術の特許収入という強固な収益源を持ちながらも、LD市場そのものの成長余地には構造的な制約があった。後にDVDの登場によってLD市場は急速に縮小し、パイオニアは再び次の事業の柱を模索することになる。