重要な意思決定
1964

機能別集権組織に転換

背景

スピーカー部品メーカーから完成品メーカーへの転換期

パイオニアは1961年に東京証券取引所第2部に上場し、オーディオメーカーとしての体裁を整えつつあった。しかし1962年当時の売上構成は、各メーカーに納めるスピーカーが約70%を占めており、実態はオーディオパーツメーカーに近かった。残りの30%もプレーヤー、アンプ、スピーカーなどの単体をバラバラに販売するステレオコンポーネントの市販にとどまり、完成品としてのステレオセットを持たない状態だった。

業界ではセパレートステレオの開発競争が始まっていた。パイオニアがこの市場に参入するには、部品メーカーとしての生産体制を完成品メーカーのそれに転換する必要があった。1962年、上場の翌年にセパレートステレオを発売すると同時に、生産組織の強化と拡充を目指して第1次事業部制を発足させた。音羽本社工場の録音事業部、音羽工場と大森工場からなる音響事業部、所沢工場のスピーカー事業部の3部体制で、新設の音響事業部がセパレートステレオの担当となった。

決断

事業部制の試行錯誤と機能別集権組織への転換

昭和30年代中盤から有力企業で採用されていた事業部制を、パイオニアも導入した。しかし、人材が不足している中で大企業と同様の事業部制を敷いたため、管理人材が分散し管理能力が相対的に弱くなった。第1次事業部制は本来の機能を果たすことなく失敗に終わり、1963年に石塚が入社すると事業部制の再検討が始まった。

この反省から1964年に生まれたのが、機能別組織を徹底的に追求した集権的組織だった。事業部長の権限を拡大したことで本社の指示が末端に行き届かなかった従来の欠点を改め、営業部を独立させて宣伝と販売促進、製品企画と販売企画、販売管理とデザインを機能別に分けた。各営業所長は社長が直轄し、営業部長の下には属さない体制とした。この組織改革によりトータルマーケティングがスムーズに実施されるようになり、パイオニアはセパレートステレオの黄金時代を迎え、オーディオ専門メーカーとしての地歩を固めていった。