重要な意思決定
19957月

社債調達を本格化

背景

株式公開後に企業買収を加速するための巨額資金が必要となった財務環境

1994年7月に店頭登録を果たしたソフトバンクは、株式公開を機に企業買収とベンチャー投資を本格化する方針を明確にした。しかし、当時のソフトバンクの売上高はFY1995時点で1711億円(当期純利益58億円)にとどまり、営業キャッシュフローだけでは大型買収に必要な資金を賄えない規模であった。Ziff-Davisの買収をはじめとする米国企業への投資には数千億円規模の現金が必要であり、銀行借入に加えて資本市場からの直接調達が不可欠となった。

1995年6月には野村証券出身の北尾吉孝氏(当時44歳)がソフトバンクに入社した。北尾氏は野村証券の在籍時にソフトバンクによるZiff-Davisの買収案件を検討した経緯があり、孫正義氏に直接スカウトされる形で財務責任者に就任した。証券出身の北尾氏の参画は、ソフトバンクの資金調達手法を銀行融資中心から資本市場活用型へと転換させる契機となった。

決断

売上高を超過する社債発行とFA債方式による調達コストの圧縮

1995年から1996年にかけてソフトバンクは無担保普通社債を連続発行し、合計2200億円の資金調達を完了した。売上高1711億円の企業が2200億円の社債を発行する形であり、売上を超過する有利子負債を抱えることを意味した。1997年3月期末時点の総資産5958億円に対して長期債務は3766億円、株主資本は1196億円で株主資本比率は20%にとどまった。

社債発行の手法においてもソフトバンクは先例を作った。1995年10月の第2回無担保社債では、社債管理会社を設置しないFA債(財務代理方式)を採用した。社債管理者を介さずに財務代理により発行する仕組みであり、管理コストを削減する狙いがあった。ただし、金融機関にとっては収入源の喪失を意味しており反発を受けた。ソフトバンクによるFA債の発行は、日本企業による社債発行実務において一つの転換点となった。