1981年 株式会社日本ソフトバンクを創業
米国留学帰りの23歳・孫正義が、自動翻訳機特許のシャープ売却金を元手に、1981年9月に福岡市で日本ソフトバンクを設立、書籍取次に相当するソフト流通の空白を狙った。シャープ・日電との独占販売契約と専門誌「Oh! PC」「Oh! MZ」の並走で、設立2年で月商4億円へ伸ばした。
創業〜設立から上場前後までどのようにして経営を軌道に乗せたのか?
- 孫正義は1957年生まれ、佐賀県鳥栖市出身。米国カリフォルニアの大学で在学中にApple IIなどパーソナルコンピュータ産業の勃興を目の当たりにし、開発した自動翻訳機の試作品の特許をシャープに売却して創業資金を確保した。帰国直後の1981年9月、24歳直前で福岡市に株式会社日本ソフトバンクを設立し、本社は日本警備保障のオフィスを間借りして始動した。
- 1980年代初頭のパソコン市場はソフトの数が爆発的に増える一方、メーカーから小売店へ届ける卸機能を担う事業者がほぼ存在しなかった。孫はシャープと日本電気の機種別ソフトの独占的な販売契約でメーカー側の発射台を確保し、1982年5月に専門誌「Oh! PC」「Oh! MZ」を創刊して機種別ユーザに直接情報を流す回路を並走させた。設立2期目で月商4億円・販売先1,570社、4期目で売上75億円・販売先5,287社まで成長させている。
- シャープ副社長の佐々木正の紹介で日本警備保障元副社長の大森康彦を社長に招聘し、自身は会長に退いた。1983年5月には野村証券社長の田淵節也を発起人とする「大森君と孫君を歓迎する会」が東京商工会議所で開かれ、日本電気社長の関本忠弘・CSK創業者の大川功ら約1,000名の経済人が集まり、財界の信用を直接調達する場となった。1990年7月にソフトバンクへ商号変更、1994年7月に店頭登録した。
ソフト流通の空白を1社で押さえる卸売事業を起点に、卸売と専門誌を一体で運営する設計を採り、1983年に大森康彦を社長に迎え自身は会長に退いて事業の前面を経営経験者に委ねた。
自動翻訳機特許のシャープへの売却で創業資金を確保、財界人脈で銀行融資を引き出し、1994年7月の店頭登録後は1995〜96年に2,200億円の無担保社債を連続発行する資本市場依存型に切り替えた。
PC用パッケージソフトの卸売を主力に、1982年5月に専門誌「Oh! PC」「Oh! MZ」で出版へ進出、展示会と組み合わせて流通・情報・イベントの三層を1社で抱える体制を構築した。
全国のマイコンショップなど小売店が販売先で、設立2期目に1,570社、4期目に5,287社、5期目に6,645社へ広がった。仕入先のソフトハウスは2期目で約200社に達した。
1981年創業時の数名から、設立2期目で21名、3期目で89名、4期目で194名、5期目で210名へと急拡大、正社員150名・臨時雇用60名で月商4億円を捌いた。
創業時は福岡市の日本警備保障オフィスを間借り、その後本社を東京都千代田区四番町に置き、1996年5月に東京都中央区日本橋箱崎町へ移転して全国展開の本社機能を整えた。
ソフトバンクグループ 創業地の主な拠点全国 の地理(日本ソフトバンク創業地 → 日本橋箱崎本社)
創業時のエピソード人物・ブランド・資金調達の細部
| 1981年 なぜ孫正義は1981年に福岡で会社を立ち上げたのか? | 米国留学中にパソコン産業の勃興を目の当たりにし、帰国後に自動翻訳機の特許をシャープに売却して創業資金を確保していた。 孫正義は米国カリフォルニア州での学生時代にApple IIに代表されるパーソナルコンピュータ産業の勃興を見ており、帰国後に開発した自動翻訳機の試作機をシャープに持ち込んで特許を売却したという。シャープ副社長の佐々木正がこの発明を高く評価し、創業資金と財界紹介の双方を後押しした経緯が、後の歓迎パーティーへとつながる。 帰国直後の孫が選んだ拠点は福岡市であった。1981年9月、株式会社日本ソフトバンクを福岡市で設立し、本社は日本警備保障(後のセコム)のオフィスに間借りする形で始動した。事業目的には「ソフトウェアの商品化支援、各種ショーへの出展、PR活動、専門誌・情報誌の発行」が掲げられ、流通と情報メディアを一体で抱える設計が創業時点から打ち出されている。 |
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| 1981年〜1982年 なぜ最初の事業として PC ソフト流通卸を選んだのか? | パソコンの普及で多様なソフトが発売される一方、メーカーから小売店へ届ける卸機能を担う事業者がほぼ存在せず、書籍取次に相当する空白が放置されていた。 1980年前後の日本ではゲームから表計算まで多様なパッケージソフトが現れたが、小売店は個別にメーカーから仕入れるため品揃えが限定され、消費者は複数の販売店を回らねば目当てのソフトに辿り着けなかった。書籍であれば取次という中間流通が確立していたのに対し、ソフトには卸売業者がほぼ存在しないという制度的な空白があった。 創業翌々年の業界誌で孫は「ソフトハウスとマイコンショップなど小売店を結びつけて、ちょうど書店で本を買うような具合に、良質のパッケージソフトを提供しようと考えついた」(近代中小企業 1983/06)と動機を語っている。書籍流通のメタファーで卸機能の不在を可視化し、ソフトハウス・小売店・ユーザの三者を結ぶ位置を1社で押さえる設計が、創業期の事業仮説そのものとなった。 |
| 1983年5月 なぜ23歳の創業者が1000人規模の歓迎パーティーを開けたのか? | シャープ副社長の佐々木正の紹介で日本警備保障の元副社長・大森康彦をスカウトし、その大森と孫を披露する場として野村証券社長を発起人とする会が東京商工会議所で催された。 創業者の年齢と経営経験の不足を補うため、孫は1983年に日本警備保障元副社長の大森康彦を社長として招聘し、自身は会長に退いて事業の前面を任せる体制を取った。シャープ副社長の佐々木正が財界への橋渡し役を担い、大森招聘が成立した。 1983年5月、東京商工会議所で「大森君と孫君を歓迎する会」が開催され、野村証券社長の田淵節也を発起人として、日本電気社長の関本忠弘、CSK創業者の大川功ら約1000名の経済人が参加した。23歳の創業者が経済界の重鎮から信用を直接調達する場として機能し、後の銀行融資・取引拡大の前提を作っている。同年から孫は病気療養で第一線を退き、1986年に経営方針の相違で大森は社長を解任されるが、創業期の信用構築装置としての役割は事業の地力に転化された。 |
| 1982年〜1984年 なぜ設立2年目で月商4億円・販売先5,287社まで到達できたのか? | シャープ・日本電気との独占的な販売契約でメーカー側の発射台を確保し、専門誌「Oh! PC」「Oh! MZ」で機種別ユーザに認知を回す情報メディアを並走させたため、卸売網が短期間で全国に広がった。 1982年5月に月刊「Oh! PC」と月刊「Oh! MZ」を創刊し、機種ごとに分かれていたPCユーザに直接訴求できる情報基盤を作った。卸売と専門誌という両輪は、ソフトハウスにとってのリーチ拡大と、小売店にとっての商品情報の供給を同時に満たした。 設立2期目の1982年12月期に売上23億円・従業員21名・販売先1,570社、3期目の1983年12月期に売上45億円・販売先3,654社、4期目の1984年12月期に売上75億円・194名・販売先5,287社、5期目の1985年12月期には売上115億円・販売先6,645社に達した(ソフトバンクFactBook)。3年で売上は5倍、販売先は3.4倍に拡大し、取り扱いソフトは8,000種・200社・加盟店2,600店規模まで集積した。 |
| 1994年7月 なぜ1994年7月の店頭登録を急いだのか? | ソフト卸売の自己資金では数千億円規模の米国ベンチャー買収を賄えず、店頭公開で資本市場へ常時アクセスする回路を確保することが、次のZiff-Davis買収以下の前提条件となっていた。 1994年7月、ソフトバンクは日本証券業協会への店頭登録を果たし株式を公開した。同年12月に米Ziff-Davisの展示場子会社の買収に動き、1995年4月にコムデックスを約749億円、1996年2月にZiff-Davis Publishingを約1,853億円で取得していく。買収総額は約21億ドル(約2,700億円)に達した。 公開直後の1995年6月に野村証券出身の北尾吉孝を財務責任者に招聘し、1995〜96年に第1回〜第12回の無担保普通社債を連発、合計2,200億円を調達した。1995年10月の第2回では社債管理会社を置かないFA債方式を採用し、調達コストを圧縮している。店頭登録は資本市場経由で米国ベンチャーを買う会社へと事業形態を切り替える起点となった。 |
歴史的証言当事者が何を考えていたか。その思想について
創業2年後、流通機構の空白を捉えた創業構想を語る
「パソコンについていうと、現在、約95種類のハードが発売されていて、百数十万人のユーザーがいるのに、業界には、私が2年前にこの会社を作るまで、ユーザーたちの多様なニーズに応えるソフトを供給する流通機構がなかった。小売店は直接メーカーから買い入れているため、どうしても1点で取り扱う種類が少なく、特定の機種にしか通用しないとか、1つのメーカーに偏ってしまうという問題もあって、ユーザーたちはマイコンショップなどを何軒も探し回らなくてはならなかったり、ソフトハウスなどに特注しなければ欲しいソフトが手に入らない状態だったわけです。」
書籍流通のメタファーで卸売事業の設計思想を説明
「そこで、ソフトハウスとマイコンショップなど小売店を結びつけて、ちょうど書店で本を買うような具合に、良質のパッケージソフトを提供しようと考えついたんです。こうすれば、ソフトハウスも競い合い、これまで以上にいろいろなソフトを開発するし、その結果として、ユーザーも手軽に、しかも安価で自分のニーズに合うソフトを手に入れることができる。」
参考文献
- 有価証券報告書
- 近代中小企業 1983/06
- ソフトバンクFactBook
- ソフトバンクFactBook 1998
- 日経ビジネス 1997/10/13